<このブログは宗教団体「幸福の科学」の様々な内部告発や退会者の方々の情報をまとめ現信者の親友Kさんに参考にしてもらうためのものです>
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<幸福の科学根本教義批判>
第二章「知の原理」批判
大川隆法の「大悟」とは何か
幸福の科学には「大悟祭」というものがある。三月二十三日、「イイシラセ」という自動書記現象が起きたことを以て「大悟」としている。
私は、このことについて、信者であった頃から疑問であった。例えば、生前の釈尊の大悟とは、そのようなものであっただろうか。「宇宙即我を体得した日」とか、「縁起の法を悟った日」とか、「人生とは何かを悟った口」などというなら分かる。ところが、手が勝手に動いた日が「大悟」の記念日なのである。
つまり、幸福の科学の言う「大悟」とは、その程度のものに過ぎないのだ。こういう所に、その「再誕の仏陀」を名乗る詐欺的教団の本質が顕れている。本物の仏陀の「大悟」と比較してみるのも面白い。
さて、大川隆法が宗教家として本当に「大悟」したのはいつなのだろうか。本来なら、そちらの方を真の「大悟記念日」としてお祭りしなければならないものである。それをしないということは、実は、未だに「大悟」などしていないのかも知れない。だから、いつまでも虚飾の「大悟祭」を続けなければならないのだ。
本来ならば、お筆先に対する敬意を払うという意味で、「大悟」ではなく「霊界通信記念日」としておかなければならない。そして、通信霊であった「日興」に対する感謝を捧げる日でなければならない筈である。ところが、通信を降ろしてきた相手先への敬意や感謝がなく、「自分が大悟したから通信が降りてきたのだ」ということで、自分を讃える日にすり替えている。何とも傲岸不遜な話である。
弟子は師の姿を真似るものである。それは、意識的にも無意識的にも真似るものである。師がそのように傲慢に振る舞えば、弟子の精神的態度にも当然影響を与えるものである。弟子である職員や信者に謙虚さや感謝が欠け、他人を軽んじるような面が見受けられるとしたら、その根本原因は教え主にあると言える。
他の霊媒師の例を挙げて比較すると、例えば、シルバーバーチは対称的な教えを説いていた。人に対して「道具意識」の徹底を説き、シルバーバーチも自身への尊崇は求めず、霊的なりIダーであるイエスに対する個人崇拝も求めず、ただ神を信ぜよと言った。この差が本物と偽物の差である。幸福の科学風に言うならば、「表」と「裏」の差であろう。
【教義批判一覧】
<幸福の科学根本教義批判>はじめに
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の思想の源流
<「愛の原理」批判>「愛を説いているのに愛がない」という不思議
<「愛の原理」批判>奪う愛から与える愛へ」というスローガンの問題点
<「愛の原理」批判>教義に欠けた「母性愛」
<「愛の原理」批判>「人を愛し、人を生かし、人を許せ。」という言葉の問題点
<「愛の原理」批判>「見返りを求めない愛」という言葉の問題点
<「愛の原理」批判>「愛の発展段階説」に関する考察
<「愛の原理」批判>「愛する愛」について
<「愛の原理」批判>「生かす愛」について
<「愛の原理」批判>「許す愛」について
<「愛の原理」批判>エーリツヒーフロム氏の説との比較
<「愛の原理」批判>まとめ
<「知の原理」批判>「疑い」の禁止-永遠の「受験勉強」の世界
<「知の原理」批判>大川隆法の「大悟」とは何か
<「知の原理」批判>「霊界次元構造説」や「魂の兄弟理論」について
<「知の原理」批判>「七」は勝利の数であるか
<「反省の原理」批判>反省を説いているのに反省がない」と言われる不思議
<「反省の原理」批判>「予言」が外れても反省しない
<「反省の原理」批判>選挙で現実を突きつけられても反省がない
<「反省の原理」批判>「反省からの発展」とは何だったのか
<「反省の原理」批判>ユング心理学から見た幸福の科学的「反省」に関する考察
<「発展の原理」批判>根抵にある「自助努力」の教え
<「発展の原理」批判>「Think Big!」という思想
<「発展の原理」批判>「幸福の科学・没落の法則
<「発展の原理」批判>まとめ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の霊的真実を探る
<幸福の科学根本教義批判>「エルーカンターレ」という呼称について
<幸福の科学根本教義批判>エル・○○」という神の名前から探るルーツ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の過去世についての概論
<幸福の科学根本教義批判>「ヘルメス」の真実の姿
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法が再誕の仏陀であっても構わない
<幸福の科学根本教義批判>ヘルメスと同一視されるルシフェルとサナトークマーラ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の霊的真実を探る まとめ
【転載元】幸福の観測所 http://antikkuma.hatenablog.com/
【著作者】TSI研究会(UMA)
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第二章「知の原理」批判
大川隆法の「大悟」とは何か
幸福の科学には「大悟祭」というものがある。三月二十三日、「イイシラセ」という自動書記現象が起きたことを以て「大悟」としている。
私は、このことについて、信者であった頃から疑問であった。例えば、生前の釈尊の大悟とは、そのようなものであっただろうか。「宇宙即我を体得した日」とか、「縁起の法を悟った日」とか、「人生とは何かを悟った口」などというなら分かる。ところが、手が勝手に動いた日が「大悟」の記念日なのである。
つまり、幸福の科学の言う「大悟」とは、その程度のものに過ぎないのだ。こういう所に、その「再誕の仏陀」を名乗る詐欺的教団の本質が顕れている。本物の仏陀の「大悟」と比較してみるのも面白い。
さて、大川隆法が宗教家として本当に「大悟」したのはいつなのだろうか。本来なら、そちらの方を真の「大悟記念日」としてお祭りしなければならないものである。それをしないということは、実は、未だに「大悟」などしていないのかも知れない。だから、いつまでも虚飾の「大悟祭」を続けなければならないのだ。
本来ならば、お筆先に対する敬意を払うという意味で、「大悟」ではなく「霊界通信記念日」としておかなければならない。そして、通信霊であった「日興」に対する感謝を捧げる日でなければならない筈である。ところが、通信を降ろしてきた相手先への敬意や感謝がなく、「自分が大悟したから通信が降りてきたのだ」ということで、自分を讃える日にすり替えている。何とも傲岸不遜な話である。
弟子は師の姿を真似るものである。それは、意識的にも無意識的にも真似るものである。師がそのように傲慢に振る舞えば、弟子の精神的態度にも当然影響を与えるものである。弟子である職員や信者に謙虚さや感謝が欠け、他人を軽んじるような面が見受けられるとしたら、その根本原因は教え主にあると言える。
他の霊媒師の例を挙げて比較すると、例えば、シルバーバーチは対称的な教えを説いていた。人に対して「道具意識」の徹底を説き、シルバーバーチも自身への尊崇は求めず、霊的なりIダーであるイエスに対する個人崇拝も求めず、ただ神を信ぜよと言った。この差が本物と偽物の差である。幸福の科学風に言うならば、「表」と「裏」の差であろう。
【教義批判一覧】
<幸福の科学根本教義批判>はじめに
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の思想の源流
<「愛の原理」批判>「愛を説いているのに愛がない」という不思議
<「愛の原理」批判>奪う愛から与える愛へ」というスローガンの問題点
<「愛の原理」批判>教義に欠けた「母性愛」
<「愛の原理」批判>「人を愛し、人を生かし、人を許せ。」という言葉の問題点
<「愛の原理」批判>「見返りを求めない愛」という言葉の問題点
<「愛の原理」批判>「愛の発展段階説」に関する考察
<「愛の原理」批判>「愛する愛」について
<「愛の原理」批判>「生かす愛」について
<「愛の原理」批判>「許す愛」について
<「愛の原理」批判>エーリツヒーフロム氏の説との比較
<「愛の原理」批判>まとめ
<「知の原理」批判>「疑い」の禁止-永遠の「受験勉強」の世界
<「知の原理」批判>大川隆法の「大悟」とは何か
<「知の原理」批判>「霊界次元構造説」や「魂の兄弟理論」について
<「知の原理」批判>「七」は勝利の数であるか
<「反省の原理」批判>反省を説いているのに反省がない」と言われる不思議
<「反省の原理」批判>「予言」が外れても反省しない
<「反省の原理」批判>選挙で現実を突きつけられても反省がない
<「反省の原理」批判>「反省からの発展」とは何だったのか
<「反省の原理」批判>ユング心理学から見た幸福の科学的「反省」に関する考察
<「発展の原理」批判>根抵にある「自助努力」の教え
<「発展の原理」批判>「Think Big!」という思想
<「発展の原理」批判>「幸福の科学・没落の法則
<「発展の原理」批判>まとめ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の霊的真実を探る
<幸福の科学根本教義批判>「エルーカンターレ」という呼称について
<幸福の科学根本教義批判>エル・○○」という神の名前から探るルーツ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の過去世についての概論
<幸福の科学根本教義批判>「ヘルメス」の真実の姿
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法が再誕の仏陀であっても構わない
<幸福の科学根本教義批判>ヘルメスと同一視されるルシフェルとサナトークマーラ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の霊的真実を探る まとめ
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自己紹介:
宗教団体「幸福の科学」に約二十年間在籍していた元信者です。幸福の科学が信者に見ないように指導している内部告発、退会者からの情報や意見を、現信者である親友Kさんのための参考資料としてまとめていこうと思っています。
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