<このブログは宗教団体「幸福の科学」の様々な内部告発や退会者の方々の情報をまとめ現信者の親友Kさんに参考にしてもらうためのものです>
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<幸福の科学根本教義批判>
第二章「知の原理」批判
「七」は勝利の数であるか
大川隆法の誕生日が七月七日でないことは、二次創作のネタにもしたが、ここではその件は不問にしておく。幸福の科学では、「七」という数字を非常に有り難かっている。精舎では「七の日参拝」ということをやっているし、とにかく「七」が好きで、逆に「六」を「悪魔の数字」であるとして嫌っている。
その理由は、大川隆法の言葉から発していると思われる。
私は昭和三十一年の七月七日、朝、潮満つるころ、七時ごろに生まれました。
その数字の示すとおり、「777」という数字が並びます。
「7」という数字は、天上界において、「勝利」を意味する数字であるのです。
これは一つには勝利を意味し、もう一つには「完成」を意味する数字であります。
(一九九〇年第七回大講演会「勝利の宣言」より)
「知の原理」とか「科学」とか言っているが、このように、何の根拠もない「迷信」的な教えも幸福の科学には流れている、ということを指摘しておきたい。
そもそも、数字自体に優劣をつける発想がおかしくて、数学的な根拠はどこにもない。寧ろ、幸福の科学で「不吉」とされている「六」の方が、数学的には「完全数」と言われるものであり、こちらの方が優れているとさえ言える。数学的に言えば「七」などは、単なる素数の一つに過ぎない。
昔から迷信的に言われていることは色々ある。国や言語・文化によって、ラッキーナンバーは違うものである。例えば、日本では、漢字の形から、末広がりの「八」が縁起のいい数とされる。お隣の中国では、同じ漢字を使うと言っても文化が異なり、「九」が「久」に通じるから縁起が良いとされたり、或いは、奇数よりも偶数が好まれる傾向があるよう
である。
「『七』が勝利を意味する数字であり、『六』が悪魔の数字である」というのは、恐らくユダヤ教(旧約聖書)を起源とする迷信であろう。ユダヤ教の影響を受けていない世界では、「六」というのは別に縁起が悪いわけでもなく、悪魔の数字でもない。
日本では、「六」は寧ろ縁起のよい数字であった。
六は「無」に通じることから、災いを無にする、病災難を追い払う数字とされています。
日本は昔六十六の国から成り立っていたとされ、六十六は日本全国を表すことばでした。
また習いごとは六歳の六月六日からはじめることで、世の中の役にたつ人なれると、言い伝えられています。
(http://goodluck.lifetop.jp/category3/entry12.htmlより引用)
「六」が悪魔の数字であるなら、「六十六」たる日本は悪魔の国ということになるだろう。
数字で験担ぎをするというのは、前近代的な迷信に過ぎない。「科学」とか「先進宗教」とか「知の原理」とか言いながら、何の根拠もない迷信を説く宗教など、どうかしている。 「虹は七色」というが、「七色」と認識するから七色に見えるだけで、その根拠はやはり西欧文明にあるのであり、東洋は伝統的には五色であった(五行説に基く)。他の地域では、三色だったり二色だったりすることもある。「虹」という現象そのものが地域によって違うわけではない。ただ、見る側の認識で、三色にも五色にも七色にも見えるだけである。
「七」が聖なる数字であるという根拠は、やはり、ユダヤ教の経典である旧約聖書の天地創造の話に根拠があるようである。即ち、神が六日で天地創造をし、一日休んだ、という話である。今の「一週間」の根拠にもなっている説であるが、これも迷信に過ぎない。しかし、「一週間」というのは全世界に広まっている。自然のリズムを全く無視した「七」と
いう数字の迷信に、全地球が汚染されてしまっていることは、まことに嘆かわしいことであるが、それはさておく。
シンパ、アンチを問わず、「666が悪魔の数字だ」と言ったり、「7はラッキーナンバーだ」と思い込んでいたりするのは、全く馬鹿げている。「高級霊」がいるとして、そんな迷信など信じるとは到底思えない。
寧ろ、現代に於ては、パチンコ等の賭博でラッキーナンバーとされていることから考えると、「七」の方が悪霊が好む数字であろうし、人を欲望に引きずり込む悪魔の数字と言えるだろう。
しかもこれは、十進数の世界だけの話である。過去の文明には、十二進法や二十進法を採用していた文明だってある。コンピューターは二進数の世界である。たとえば、「獣の数字」とされる「666」は、十二進数では「476」である。不吉でも何でもない。こんなものは、数学的に見ても、決して普遍的な思想ではなく、単なる原始時代から伝わる迷
信に過ぎない。
仮に雲的存在を認めるとして、どのような霊存在がバックについているかと考えると、「七」を縁起のよい数として崇め奉るのは、ユダヤ教しかないのであり、つまり、エロヒム(ユダヤの民族神)であると推測される。霊的真実の解明については、また後で述べることにする。
【教義批判一覧】
<幸福の科学根本教義批判>はじめに
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の思想の源流
<「愛の原理」批判>「愛を説いているのに愛がない」という不思議
<「愛の原理」批判>奪う愛から与える愛へ」というスローガンの問題点
<「愛の原理」批判>教義に欠けた「母性愛」
<「愛の原理」批判>「人を愛し、人を生かし、人を許せ。」という言葉の問題点
<「愛の原理」批判>「見返りを求めない愛」という言葉の問題点
<「愛の原理」批判>「愛の発展段階説」に関する考察
<「愛の原理」批判>「愛する愛」について
<「愛の原理」批判>「生かす愛」について
<「愛の原理」批判>「許す愛」について
<「愛の原理」批判>エーリツヒーフロム氏の説との比較
<「愛の原理」批判>まとめ
<「知の原理」批判>「疑い」の禁止-永遠の「受験勉強」の世界
<「知の原理」批判>大川隆法の「大悟」とは何か
<「知の原理」批判>「霊界次元構造説」や「魂の兄弟理論」について
<「知の原理」批判>「七」は勝利の数であるか
<「反省の原理」批判>反省を説いているのに反省がない」と言われる不思議
<「反省の原理」批判>「予言」が外れても反省しない
<「反省の原理」批判>選挙で現実を突きつけられても反省がない
<「反省の原理」批判>「反省からの発展」とは何だったのか
<「反省の原理」批判>ユング心理学から見た幸福の科学的「反省」に関する考察
<「発展の原理」批判>根抵にある「自助努力」の教え
<「発展の原理」批判>「Think Big!」という思想
<「発展の原理」批判>「幸福の科学・没落の法則
<「発展の原理」批判>まとめ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の霊的真実を探る
<幸福の科学根本教義批判>「エルーカンターレ」という呼称について
<幸福の科学根本教義批判>エル・○○」という神の名前から探るルーツ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の過去世についての概論
<幸福の科学根本教義批判>「ヘルメス」の真実の姿
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法が再誕の仏陀であっても構わない
<幸福の科学根本教義批判>ヘルメスと同一視されるルシフェルとサナトークマーラ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の霊的真実を探る まとめ
【転載元】幸福の観測所 http://antikkuma.hatenablog.com/
【著作者】TSI研究会(UMA)
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第二章「知の原理」批判
「七」は勝利の数であるか
大川隆法の誕生日が七月七日でないことは、二次創作のネタにもしたが、ここではその件は不問にしておく。幸福の科学では、「七」という数字を非常に有り難かっている。精舎では「七の日参拝」ということをやっているし、とにかく「七」が好きで、逆に「六」を「悪魔の数字」であるとして嫌っている。
その理由は、大川隆法の言葉から発していると思われる。
私は昭和三十一年の七月七日、朝、潮満つるころ、七時ごろに生まれました。
その数字の示すとおり、「777」という数字が並びます。
「7」という数字は、天上界において、「勝利」を意味する数字であるのです。
これは一つには勝利を意味し、もう一つには「完成」を意味する数字であります。
(一九九〇年第七回大講演会「勝利の宣言」より)
「知の原理」とか「科学」とか言っているが、このように、何の根拠もない「迷信」的な教えも幸福の科学には流れている、ということを指摘しておきたい。
そもそも、数字自体に優劣をつける発想がおかしくて、数学的な根拠はどこにもない。寧ろ、幸福の科学で「不吉」とされている「六」の方が、数学的には「完全数」と言われるものであり、こちらの方が優れているとさえ言える。数学的に言えば「七」などは、単なる素数の一つに過ぎない。
昔から迷信的に言われていることは色々ある。国や言語・文化によって、ラッキーナンバーは違うものである。例えば、日本では、漢字の形から、末広がりの「八」が縁起のいい数とされる。お隣の中国では、同じ漢字を使うと言っても文化が異なり、「九」が「久」に通じるから縁起が良いとされたり、或いは、奇数よりも偶数が好まれる傾向があるよう
である。
「『七』が勝利を意味する数字であり、『六』が悪魔の数字である」というのは、恐らくユダヤ教(旧約聖書)を起源とする迷信であろう。ユダヤ教の影響を受けていない世界では、「六」というのは別に縁起が悪いわけでもなく、悪魔の数字でもない。
日本では、「六」は寧ろ縁起のよい数字であった。
六は「無」に通じることから、災いを無にする、病災難を追い払う数字とされています。
日本は昔六十六の国から成り立っていたとされ、六十六は日本全国を表すことばでした。
また習いごとは六歳の六月六日からはじめることで、世の中の役にたつ人なれると、言い伝えられています。
(http://goodluck.lifetop.jp/category3/entry12.htmlより引用)
「六」が悪魔の数字であるなら、「六十六」たる日本は悪魔の国ということになるだろう。
数字で験担ぎをするというのは、前近代的な迷信に過ぎない。「科学」とか「先進宗教」とか「知の原理」とか言いながら、何の根拠もない迷信を説く宗教など、どうかしている。 「虹は七色」というが、「七色」と認識するから七色に見えるだけで、その根拠はやはり西欧文明にあるのであり、東洋は伝統的には五色であった(五行説に基く)。他の地域では、三色だったり二色だったりすることもある。「虹」という現象そのものが地域によって違うわけではない。ただ、見る側の認識で、三色にも五色にも七色にも見えるだけである。
「七」が聖なる数字であるという根拠は、やはり、ユダヤ教の経典である旧約聖書の天地創造の話に根拠があるようである。即ち、神が六日で天地創造をし、一日休んだ、という話である。今の「一週間」の根拠にもなっている説であるが、これも迷信に過ぎない。しかし、「一週間」というのは全世界に広まっている。自然のリズムを全く無視した「七」と
いう数字の迷信に、全地球が汚染されてしまっていることは、まことに嘆かわしいことであるが、それはさておく。
シンパ、アンチを問わず、「666が悪魔の数字だ」と言ったり、「7はラッキーナンバーだ」と思い込んでいたりするのは、全く馬鹿げている。「高級霊」がいるとして、そんな迷信など信じるとは到底思えない。
寧ろ、現代に於ては、パチンコ等の賭博でラッキーナンバーとされていることから考えると、「七」の方が悪霊が好む数字であろうし、人を欲望に引きずり込む悪魔の数字と言えるだろう。
しかもこれは、十進数の世界だけの話である。過去の文明には、十二進法や二十進法を採用していた文明だってある。コンピューターは二進数の世界である。たとえば、「獣の数字」とされる「666」は、十二進数では「476」である。不吉でも何でもない。こんなものは、数学的に見ても、決して普遍的な思想ではなく、単なる原始時代から伝わる迷
信に過ぎない。
仮に雲的存在を認めるとして、どのような霊存在がバックについているかと考えると、「七」を縁起のよい数として崇め奉るのは、ユダヤ教しかないのであり、つまり、エロヒム(ユダヤの民族神)であると推測される。霊的真実の解明については、また後で述べることにする。
【教義批判一覧】
<幸福の科学根本教義批判>はじめに
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の思想の源流
<「愛の原理」批判>「愛を説いているのに愛がない」という不思議
<「愛の原理」批判>奪う愛から与える愛へ」というスローガンの問題点
<「愛の原理」批判>教義に欠けた「母性愛」
<「愛の原理」批判>「人を愛し、人を生かし、人を許せ。」という言葉の問題点
<「愛の原理」批判>「見返りを求めない愛」という言葉の問題点
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<「愛の原理」批判>「愛する愛」について
<「愛の原理」批判>「生かす愛」について
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<「反省の原理」批判>選挙で現実を突きつけられても反省がない
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<「発展の原理」批判>根抵にある「自助努力」の教え
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<「発展の原理」批判>「幸福の科学・没落の法則
<「発展の原理」批判>まとめ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の霊的真実を探る
<幸福の科学根本教義批判>「エルーカンターレ」という呼称について
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<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の霊的真実を探る まとめ
【転載元】幸福の観測所 http://antikkuma.hatenablog.com/
【著作者】TSI研究会(UMA)
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自己紹介:
宗教団体「幸福の科学」に約二十年間在籍していた元信者です。幸福の科学が信者に見ないように指導している内部告発、退会者からの情報や意見を、現信者である親友Kさんのための参考資料としてまとめていこうと思っています。
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