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<幸福の科学根本教義批判>

おわりに
 
「エルーカンターレの呪い」から脱するために
 
 退会しても、「教えは正しかった」と思っている人は少なくない。そういう人は、会の運営や、教祖の行動に疑問を感じていても、教えには疑問を感じていない。例えば、「レムリアールネッサンス」なども、大川隆法を否定してはいるものの、霊界の次元構造説や神の名前など、GLA及び幸福の科学の霊界観をそのまま受け継いでいる。私は、それではまだ「エルーカンターレの呪い」から脱することはできないと思う。
 
 脱洗脳のためには、一度、白紙に戻して、考えてみる必要がある。この本は、その私なりの過程を記したものである。
 
 結論をハッキリ述べると、大川隆法は詐欺師であり、幸福の科学は詐欺的団体である。「愛」という名の下に、信者を証かし、不幸の道へと誘う詐欺集団である。
 
 喘される側も悪いと言えば悪いのだ。私も、二世信者として、母親から「伝道」された者である。二世信者であるから逃れがたいものがあったが、兄や姉は、そこまで深く信仰に嵌ることは無かった。とすると、二世信者といっても個人差があるのであり、「二世信者だから、全部親が悪かった」とは言えないものがある。
 
 自分白身を振り返って、どのような点に共感してしまったのだろう、と考えてみると、「聖人願望」のようなものがあり、それが原因ではないかと思う。「自分は他人とは違う」、「特別な存在でありたい」という意識があり、それが大川隆法の誇大妄想癖から来る「救世主宣言」などに共感してしまったのだろう。
 
 このことを表す象徴的な比喩表現に、「泥中の花」ということがある。元は仏教の言葉だろうが、幸福の科学の中でも好んで使われる。「世の中は泥のように汚い世界かも知れないが、泥中に咲く蓮の花のように、あなたがたは花を咲かせなさい」というような意味で使われる言葉である。
 
 信者である当時は、こういう比喩を肯定的に捉えていたが、やはり、ここにも病理がある。世間を偽・悪・醜と見て、自分を真・善・美と見るような特権意識がある。結局、世間や他人を見下しているのである。それで、自分だけが自己満足で悦に浸っているのである。
 
 これではいけない。この比喩を借りるとするなら、「泥中の泥」を自認しなければならない。寧ろ自分が泥であって、周りの蓮を泥から水面に押し上げ、花を咲かしむるような泥でなければならない。いや、この比喩でもまだ特別な「泥意識」がある。単なる「泥」という意識を持たねばならない。何ら特別な所のない、ただの泥である。
 
 高校の時の担任の先生からも、「あなたはもっと泥臭く生きてみなさい」と言われたことがある。「世間を斜めに見ている」と。当時はそう言われても全くピンと来なかったが、今はよく分かる。その通りだったと思う。
 
 
*** 余談 ***
 
 「R.O.B-the TV-」について。続きを書くつもりでしたが、年初から始めた仕事などにより、時間の都合や気力の問題など、様々な事情により書けなくなりました。
 
 まあ、現実が創作を超えた超展開を見せ始めているので、創作の出る幕はないのだ、ということで自分を納得させました。
 
 続きを待っている人など皆無だろうとは思いますが、念のため、プロットを附録としてつけておきます。
 
 ちなみに、「R.O.B-the TV-」は、言うまでもなく 「Rebirth Of Buddha」の略であり、「R.O.D-the TV-」のもじりです。
 
 あと、本文中、「エルーカンターレの呪い」ということを書きましたが、その発想元は『輪るピングドラム』の「員俐の呪い」です。一見いい人風で、人助けをしているように見えながら、その実、信じる者を永遠の不幸の輪廻の中へ引きずり込もうとするのがそっくりだと思います。
 仮に退会しても、その「呪い」が消えることはなく、子の代にまでそれが及ぶ、というのもよく似ています。
 
 「呪い」を解く方法は、古来から洋の東西を問わず決まっていて、それは『輪るピングドラム』でもそうでした。ここでは敢て答えは書きません。
 
 
【参考文献】
〇関谷皓元著『虚業教団』(現代書林)(※以下のサイトで閲覧可能)
〇エーリッヒーフロム著『愛するということ』(紀伊國屋書店)
〇『シルバーバーチは語る』他(以下のサイトで無償公開されている)
【教義批判一覧】
<幸福の科学根本教義批判>はじめに
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の思想の源流
<「愛の原理」批判>「愛を説いているのに愛がない」という不思議
<「愛の原理」批判>奪う愛から与える愛へ」というスローガンの問題点
<「愛の原理」批判>教義に欠けた「母性愛」
<「愛の原理」批判>「人を愛し、人を生かし、人を許せ。」という言葉の問題点
<「愛の原理」批判>「見返りを求めない愛」という言葉の問題点
<「愛の原理」批判>「愛の発展段階説」に関する考察
<「愛の原理」批判>「愛する愛」について
<「愛の原理」批判>「生かす愛」について
<「愛の原理」批判>「許す愛」について
<「愛の原理」批判>エーリツヒーフロム氏の説との比較
<「愛の原理」批判>まとめ
<「知の原理」批判>「疑い」の禁止-永遠の「受験勉強」の世界
<「知の原理」批判>大川隆法の「大悟」とは何か
<「知の原理」批判>「霊界次元構造説」や「魂の兄弟理論」について
<「知の原理」批判>「七」は勝利の数であるか
<「反省の原理」批判>反省を説いているのに反省がない」と言われる不思議
<「反省の原理」批判>「予言」が外れても反省しない
<「反省の原理」批判>選挙で現実を突きつけられても反省がない
<「反省の原理」批判>「反省からの発展」とは何だったのか
<「反省の原理」批判>ユング心理学から見た幸福の科学的「反省」に関する考察
<「発展の原理」批判>根抵にある「自助努力」の教え
<「発展の原理」批判>「Think Big!」という思想 
<「発展の原理」批判>「幸福の科学・没落の法則
<「発展の原理」批判>まとめ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の霊的真実を探る
<幸福の科学根本教義批判>「エルーカンターレ」という呼称について
<幸福の科学根本教義批判>エル・○○」という神の名前から探るルーツ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の過去世についての概論
<幸福の科学根本教義批判>「ヘルメス」の真実の姿
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法が再誕の仏陀であっても構わない
<幸福の科学根本教義批判>ヘルメスと同一視されるルシフェルとサナトークマーラ
<幸福の科学根本教義批判>大川隆法の霊的真実を探る まとめ

 
【転載元】幸福の観測所 http://antikkuma.hatenablog.com/
【著作者】TSI研究会(UMA)


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宗教団体「幸福の科学」に約二十年間在籍していた元信者です。幸福の科学が信者に見ないように指導している内部告発、退会者からの情報や意見を、現信者である親友Kさんのための参考資料としてまとめていこうと思っています。

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