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獏 論 [幸福の科学アラカルト]より『虚業教団』(関谷晧元著)を全文掲載します。

※本文掲載につきましては著作者である関谷晧元氏ご本人より許可を頂いております。
 また本書籍をWEB上で閲覧可能にして下さった獏論氏のご尽力に心よりの感謝を申し上げます。
 
「『虚業教団』〈幸福の科学〉で学んだものは何だったのか」関谷晧元著(現代書林)
 
 第3章  「裸の王様」 への道
 
  「真っ黒な雲が覆いかぶさってくる」
 
 大川隆法の結婚前に、中原幸枝が一人の老婆を講演会に連れてきた。人のよさそうな、田舎弁丸出しのおばあさんだったが、中原によると、なかなかの霊感の持ち主であるという。
 その老婆は、講演会が終わってから感に堪えないようすでこう言った。
 「お話は難しくてよくわからなかったが、あの先生(大川)からは金色の後光が射しとった。いいところへ連れてきてもらって、ほんとにありがたい」
 霊感とか霊能力には比較的冷淡な私も、こんなふうに自分の参加する会が褒められるのは悪い気がしなかった。
 
 大川が結婚してから、老婆が再び講演会に顔を出したことがある。このときも中原が連れてきたのか、自分から会場へ来たのか、そのあたりの私の記憶は曖昧である。
 しかし大川について、次のように語ったのが強烈な印象となって残っている。
 「前に聴かせてもらったときは、金色の光が見えたにねぇ。今日はどうも違う。先生の後ろに魔女がいて、まっ黒い雲を吐き出している。それが、わしらのほうへかぶさってきて、えらく気味悪かったよ」
 
 いま考えると、不吉な言葉である。しかしそのときは、深くも考えなかった。日によって変わる"老婆のたわ言"ぐらいに受け止めていたと思う。
 老婆が見たという"魔女"に、現在の私は思い当たる一人の女性がいる。彼女の中高の鼻は、西洋の魔女のわしっ鼻と似ていなくもない。その女性が魔女なのだと言うつもりは、私には毛頭ない。主宰先生のように、「あの人には悪霊がついている」とか「彼は悪魔だ」などと言う趣味を私は持ち合わせていないからだ。
 しょせんは老婆のたわ言である。しかし、あのおばあさんは大川に、あるいは会に、何か良からぬ変化が起きているのを直観的に感じとったのではなかったか。それを、たまたま魔女というイメージであらわしたのではないだろうか。
 
 問題は、彼女が魔女かどうかではない。老婆の言った"魔女"という言葉に、私がその女性を思い浮かべるようになったという、その事実である。それには、もちろん理由がある。その理由は、〈幸福の科学〉を神理探究の場から、会員獲得を第一義とする宗教団体へと変質させてしまった、その原因の一つと重なっている。
 大川の結婚を境にして、〈幸福の科学〉 は急速に変質していったのである。
 
 
  大川夫人の登場と会の変質
 
 最初に申しあげておきたいと思うが、私は個人攻撃をするつもりはない。教団というものが、いかに人を本源の神から遠ざけてしまうか。そのことを、〈幸福の科学〉 という一つの集団を例として、また〈幸福の科学〉 に人生を懸けた愚かな男の悩み、苦しみを通して、一人でも多くの人にわかってほしいという願いから、こうして筆をとっているにすぎない。
 私が大川主宰や、そのまわりの人に批判の目を向けるとしても、それは会の行き方を検証したいがためである。というのは、彼らもまた私たちと同様、宗教団体という魔力の犠牲者である。本源の神から人を遠ざけてしまうものを検証するには、彼らにも裸になってもらわなければならない。
 あの童話の幼児のように、「王様は裸だ!」 と、誰かが叫ばなければならない。
 
 話は、大川の結婚式の半年前にさかのぼる。
 一九八七年十一月の二十一日から三日間、茨城県の大洗で研修会が開かれた。いくつかの意味で、〈幸福の科学〉の今後を決定することになった特筆すべき研修会である。
 三日間の研修だから、当然泊まりがけになる。どんな集団でも、そうした合宿などでは特別な雰囲気が生まれる。このときは若い女性グループが妙にはしゃいでいた。ワーワーキャーキャー騒ぎながら、まるで人気タレントのように大川をあつかった。今にして思うと、これが我が師を大いなる覚者から宗教タレントへ変貌させるきっかけであった。
 
 佐藤真知子という二〇代半ばの女性会員が、そのグループの中心になっていた。婦人部講師だった母親をはじめ、一家をあげて熱心に活動していたから、生え抜きの若手と言っていいかもしれない。大柄な体に相応しく屈託のない、天真欄漫な性格で、若い女性たちのリーダー的存在だった。もっとも、三〇も年の違う私から見れば、そんなところが可愛い娘さんだった。
 この自称アマゾネス軍団の一人が、ボランティアとして会の活動にかかわっていた東大生の木村恭子である。
 
 以下に述べるのは、直接私が見聞きしたものではないことを断っておく。しかし最も身近にいた人間から伝え聞いたものであるから、真実と考えてもらっていいと思う。
 大洗の研修会の後、大川のもとへ恭子から熱烈なラブレターが届いた。
「先生に直に指導していただかなければ、霊道の開けてしまった私は死んでしまう」
 手紙にはそんなことが書き連ねてあったという。「大洗での講義のとき、先生は私を意識していましたね」ともあったらしい。なかなか可愛いではないか。恋愛経験の少ない、自意識過剰な若い女性なら、そんなふうに思い込むのは不思議ではない。
 
 ラブレターをもらったほうも、大川の本を信じる限り、デート一つしたこともないぐらい恋愛経験に欠けていた。学生時代には、一度しか話したことのない相手に、ラブレターを小包にして送っていたというから、純情さではひけをとらない。
 そういうカップルにありがちなケースだが、二人の仲は急速に発展した。まず中原が、大川の指示で恭子にコンタクトをとる。そして、キューピットさながら主宰先生の逢瀬をとりもった。その場で、すべてが決まってしまった。わずか一ヵ月後には吉祥寺の料亭「双葉」において、私に結婚を打ち明けている。
 大川と恭子の婚約発表に、彼女を知る会員たちはさぞかしびっくりしただろう。先日まで職員の手足となって働いていたボランティアが、しばらく顔を見せないと思ったら、なんと主宰夫人になるという。とりわけ真知子にとっては、青天の霹靂のはずである。
 
 結婚の縁というものは、恭子の著作(『愛を与えることの幸福』)によると、「今世の魂修行の重要課題」にしたがって決まってくるという。としたら、この結婚にこそ、大川隆法の本質がハッキリと現れていると言ってもいいだろう。
 大川夫人の登場と時を同じくして、〈幸福の科学〉は大きく変質していった。神理を探究する人々の集まりの場から、会員を集めることに狂奔する、ありふれた新興宗教の一つへと転落を始めたのである。
 
 その変質は、たとえば大川父子の反目という、具体的なかたちをとって現れてきた。
〈幸福の科学〉 の初期の講演会では、講師は常に大川隆法、善川三朗の二本立てだった。それが次第に大川一人が講演するようになり、父親である善川のほうは独自で講演会を催すようになる。同じ〈幸福の科学〉の看板を掲げて開くのだが、何万人も集める大川にくらべ、父親の講演会は今もってこじんまりしたものらしい。
 あの東京ドームでのハデハデしい"御生誕祭"も、常識人である善川の反対を押し切っておこなわれたと言われている。
 こうした二人の関係について、世間では大川の"遅れてやってきた反抗期" などと面白おかしく揶揄しているが、ことはそれほど単純ではないと思う。
 
 私の知る範囲でも、いくつかの理由がある。一つは、会の運営方針をめぐる対立。会員獲得を第一義とするような会の拡大路線に、善川は猛反対だった。高橋信次の GLA や、谷口雅春の生長の家の信者だったこともある善川には、地道に信者の生活や心の改革に取り組むのでなく、数字的な拡大を図ろうとする大川の方針が危ういものに思われたに違いない。
 結婚後、急速に拡大路線に転じ始めた会の方針に、夫人の影響を見るのは私の読みすぎだろうか。
 
 少なくとも夫人は、義父にあたる善川を忌み嫌っていた。
 義父が四国からはるばる上京してきても、決して自分たちのところに泊めようとしなかったのは、当時の幹部のあいだでは有名な話である。すぐ近くに息子の豪邸があるにもかかわらず、父親はホテルに宿泊していた。そればかりか、息子の若い嫁は 「お義父さんには悪霊が憑いている」 などとまわりにもらしていたのである。
「三〇をすぎて独身では、かわいそうだからなぁ」
 クルマの後部座席でつぶやいていた老父を、私は淋しく思い出す。
 もっともこの女性は誰に対しても、 「悪霊が憑いている」と言っていた。
「家に帰ると、"今日は何々局長の悪い霊を憑けてきた"と言われるんだ」
大川が苦笑いしながら、こぼしたことがあった。
 
 主宰先生は夫人の尻に敷かれているらしいというのが、二人をよく知る人間の一致した見解だった。現代の釈迦が妻に頭があがらない。ソクラテスのようでもあり、微笑ましい人間味を感じる。しかしそれが会のあり方を左右するようになったら、話は別だ。後のことになるが、フライデー事件の際にも、夫人からの指示がファックスで本部へ送られてきていたという。
 阿南浩行と佐藤真知子の神託結婚にも、大川夫人の意見が多分に反映されたと見ていいだろう。大川一人では、阿南の相手に真知子を思いつくとは到底思えない。それほどこの二人は性格的にも、実際のつきあいにおいても距離があった。真知子に意識がいく人間がいるとしたら、かつて彼女の"子分" だった大川夫人以外にないと思う。
 もしかしたら昔の"親分"に、自分が手にしたばかりの権力を誇示したかったのかもしれない。
 
 こんなことを書くのは、私としても悲しい。品性が疑われるかもしれない。しかし書かなければならないだろう。いま何百万人の会員がいるか知らないが、決して少なくない人々が、〈幸福の科学〉の大川主宰や主宰補佐である夫人、また善川顧問夫婦を、神を仰ぐような目で見つめている。
 しかし彼らも、私たちと同じ人間なのである。権力欲や嫉妬にも駆られるし、嫁舅の行き違いもある。三〇をすぎた息子が独身でいることを心配したり、妻にやり込められたことを苦笑いしながらこぼすような、どこにでもいる愛すべき人たちなのである。
 問題は、そういう人間を絶対視するところから起きてくる。
 
 
  大川ファミリー経営の企業 =〈幸福の科学〉
 
 昨日まで一会員だった木村恭子が、結婚によって、たちまち主宰補佐になったときも、会員のほとんどは当然のこととして受け止めた。
 しかし学習団体であったはずの〈幸福の科学〉が、いわば縁故関係から一会員を主宰補佐という重要な職に任じたとき、会は明らかに変質していた。これは、大川隆法の出身大学である東大の学長夫人が、副学長になるようなものなのである。
 私立大には理事長という職がある。その奥さんが副理事長になるならわかる。理事というのは教育に携わるのでなく、経営を担当する役職なのだから。大川夫人が補佐になったという事実に、主宰や補佐がじつは 〈幸福の科学〉 の経営者であったことに、私たちは思い至るべきだったのではないだろうか。
 
 そういえば、善川夫人も顧問として特別な立場にいる。さらに主宰、主宰補佐、顧問にはかなりの額の"役員報酬"が支払われていることも忘れてはならない。
「でも、大川隆法の莫大な印税の中から支払われているのだから、たいしたことないでしょう。息子が稼いで、親に仕送りするようなものだから」
 と言う人がいるかもしれない。
 
 多くの人が、〈幸福の科学〉の経費は本の印税で賄われていると思っているようだ。確かに、次々にベストセラー入りする本の印税は莫大な額にのぼる。もちろん、大川の本がベストセラーになるのには仕掛けがある。まず、会員になるには本を一〇冊読まなければならない。また、新しい本が出版されるたびに、会員は半ば強制的に二〇冊三〇冊と買うことを要求される。ベストセラーにならないほうがおかしい。
 その印税は、すべて大川の個人的な収入になるのである。少なくとも、私が脱会するときまではそうだった。会員に買わせた本の印税が個人の収入になる。これは、常識的に考えてもおかしいと言わざるをえない。
 
 あるとき、会の運営費が不足したことがある。
「先生の印税を会に入れてもらえませんか」
 ある局長が何気なく言ったとたん、主宰先生は烈火のごとく怒ったものだ。
 印税のうえに、会の経費から主宰、主宰補佐、顧問夫妻に"役員報酬"が支払われる。大川や善川がそれを受け取るのはいいとしよう。しかしどうして、大川夫人や善川夫人にまで"報酬"が払われるのだろう。これでは、どこにでもある中小企業の経営体質とほとんど違いはない。
 
 大川ファミリーが経営する会社。それが〈幸福の科学〉の実態だった。
 直接経理にタッチしたこともある私は、彼らにどの程度の額が支払われていたか知っているが、それは敢えて言うまい。"役員報酬"の多寡が問題なのではない。一つの組織として見たとき、そこに見えてくるのは日本的中小企業の姿だと言いたいのである。
 それは、法を学び、法を広めようとするサンガーとは異質なものではないだろうか。
 
 私がいた八九年夏までの〈幸福の科学〉は、それでもまだ、神理を学ぼうとする人々の熱烈な思いによって成り立っていた。しかし"大躍進の年"とされたその年を通過すると、会員を集め、金を集めることに熱中する集団ができあがってしまった。
 そんな中から、三〇〇〇億円の献金を集め、都心の一等地に七七階建てのビルを建設するなどという、破天荒な構想も生まれてくる。
 
 その寄付の募り方が、さすが元商社マンだけあって独創的である。何十万、何百万という単位で会員から借り入れる。利子は、会への寄付になる。無利子、無期限で借金するようなものだろう。一人で何千万も出す人もいれば、何人か集まり一〇万、二〇万をつくる人たちもいる。何千円といった端数は受け付けないところが、じつにドライだ。仮に返還を求める人がいたら、その分は、ほかの会員からの借入金で穴埋めする。しかし天上界という担保があるから、返還を求めるような会員はめったにいない。じつに天才的な"商法"ではないか。
 
 各支部には、月毎に何億というノルマが課せられる。それがまたちゃんと集まってしまうのである。しかしノルマを与えられる支部長は決してラクではなかっただろう。
 後になって私はよく思ったものだ。
「たくさん人を引っかけて、一緒に金儲けしようや」
 とでも言ってくれたら、どんなにか気楽だったことだろう。たぶん喜んで一緒にやったに違いない。けれど、これほど一生懸命になることも、またなかっただろう。
 ちなみに、「こんなことをしたら、どれぐらい引っかかるか」という表現は、私の在籍中でさえしばしば耳にした。会員には信じられないという人が多いと思う。しかし残念なことに、これが 〈幸福の科学〉 の経営陣の姿勢だった。
 
 
 「生命線」 出版ルートの確保
 
 ここで、〈幸福の科学〉のいわば生命線であり、会の発展に大きな貢献をした〈幸福の科学出版〉の設立について述べておきたいと思う。
 ご存じの方も多いと思うが初期の霊言集は、潮文社から出版されていた。大川の霊言テープあるいは原稿を、善川が持ち込んでの出版だったらしい。
 ところが八冊目か九冊目で、潮文社社長のK氏と大川父子が対立した。
 原稿はできても本にしてくれる出版社がない。困っているところへ助け船を出したのが、やはり中原幸枝だった。中原の紹介で、彼女の本を出版したことのある土屋書店がピンチを救うことになった。また、高橋守人が社長をしていたコスモ印刷の協力で、幸福の科学出版名で 『高橋信次霊訓集1・2・3』 や 『神霊界入門』 を出している。
 第三の大黒天と言われた高橋守人も、〈幸福の科学〉の草創期からかかわり、苦い思いを抱いて去っていった仲間の一人だった。
 
 現在は、会とは独立したかたちで、幸福の科学出版株式会社が出版活動をおこなっているが、そのもとになった幸福の科学出版は、もともと高橋が大川に提案してつくられたものと記憶している。大川もいずれは本格的な出版社を持つつもりでいたのだろう。出版社を興したら重責に据える約束で、高橋に全面的な協力を求めた。前記の四冊などは、出版経費の全額をコスモ印刷で負担している。機関紙の印刷も原価でおこない、会員への発送も会社で引き受けるという献身ぶりだった。
 しかし幸福の科学出版株式会社が設立されてみると、高橋のポストはどこにもなかった。彼が憤るのも当然だろう。この事件ついては、高橋本人が雑誌やテレビで告発しているので、ここでは詳しく触れない。
 一九八七年の十二月二十四日、幸福の科学出版株式会社設立。こうしてあらためて振り返ってみると、吉祥寺の料亭で大川の婚約を知らされる、わずか二日前である。発足記念講演会から約一年。大川にしたら得意の絶頂だったに違いない。
 出版社はできたが、しかし大手取次店である日販も東販も相手にしてくれなかった。〈幸福の科学〉も大川隆法も、一般にはまだ無名に等しい。得体の知れない宗教団体がつくった出版社など、誰もまともに付き合おうとしなかった。
 印刷することはできるが、書店には並べられないという状態だった。
 出版責任者の細田局長が、半年以上も前から流通ルートの開拓に汗を流していたが、どうにもメドが立たなかった。
 
「関谷さん、顔の広いところで何とか道がつかないだろうか」
 局長会議で大川に言われ、私も困ってしまった。クルマの販売なら 「任せておけ」 と胸を張って答えられる。が、畑違いの本ではどうにもならない。ただ、自動車販売の関係者に、あの人ならあるいはと思う人物がいた。
 東販と直接コネクションのあるA氏である。幸いなことに、A氏の紹介で私が東販を訪れると、話はウソのようにトントン拍子に運んだ。東販の出版コードがとれたとわかると、日販もスンナリと受け入れてくれた。人の繋がりとは、まことにありがたいものである。
 
 この時点での会員数は、まだ二〇〇〇人ほどだった。本が全国へ一斉に流れてこそ、今の〈幸福の科学〉があることを思えば、A氏の尽力を得て、まさに私が〈幸福の科学〉の基礎造りをしたことになったわけだ。
 会は大川主宰一人が大きくしたのではない。出版部門一つとっても、潮文社のK氏からはじまって、さまざまな人間の助力があった。どの人が欠けても、今日のような発展はなかっただろう。その中には、大川から"石もて追われた"ような高橋守人ももちろん含まれている。  
 
 しかし中小企業の社長によくあるタイプだが、大川は徹底したワンマンだった。
 人材登用の仕方がすこぶるうまい。同時に切り捨てるときは容赦なく、どんな古参の幹部でも遠慮なく左遷し、同じ人間は決して長くまわりに置かなかった。この"恐怖政治"は、幹部や職員のあいだに大川のイエスマンでなければならないという空気をつくっていった。
 
 
  「ワンマン社長」としての大川隆法の力量
 
〈幸福の科学〉における大川隆法の管理術は、もしかすると中小企業の経営者にはいい参考になるかもしれない。それは冗談とするにしても、そう思わせるほど鮮やかな手腕を彼は振るった。
 一つは、優秀な才能を発見し、どんどん抜擢していく人材の登用法である。
 この会では、すべてがランク付けされる。この世界そのものが、十次元とか十三次元にもおよぶピラミッド型の世界なのだ。私たちの魂は、その次元を一つでも上へ昇るために修行している。その修行というのは、大川の、あるいは大川を通して現れた霊の説く神理を学習することである。
 
 学習さえすれば、高次元へ行くことができる。〈幸福の科学〉では、実践は必要なかった。愛を実践するのでなく、愛とは何かを学ぶことでより高い次元へ進む。その学習成果を、試験・レポートというかたちで絶えずチェックされるのである。
 この試験・レポートが、優秀な才能の発掘に役立った。
 頭のキレる者、営業センスのありそうな者、人脈の豊かな者はどんどん登用していく。
 同時に、会員の獲得で好成績をあげた人間も次つぎに重く用いられた。
 私も、大きな顔で批判する立場ではない。私の退会時にいた一〇〇人ほどの本部職員はほとんど私が直接面接し、採用を決めた人たちだったのだから。会を退めたことも、こんな文章を書くことも、彼らへの裏切りになるとは重々承知している。その罪も自覚している。だが真実を書かずに済ますほうが、さらに大きな裏切りではないか ──。
 
 人材登用もさることながら、切り捨てや左遷、格下げのほうに、主宰先生はいっそう鮮やかな手並みを見せた。
 何かの方針を実行に移す場合、大川自身は決して表舞台に立たないことはすでに述べた。必ず幹部の一人を通して指示を出す。もし失敗しても幹部の責任となり、大川はむしろ同情される立場になる。
 こういう自己保身を図るのも、教団トップとしては止むを得ないことかもしれない。絶対である教祖に、間違いは許されないのである。
 そのいい例が、フライデー事件だろう。
 
 写真週刊誌フライデーに、大川にうつ病の病歴があると載ったとき、対抗策を練るために幹部に招集がかかった。紀尾井町のビルに四〇人ほどが集まり、会議が開かれた。講談社断固許すまじという武闘派と、たかが写真誌の根も菓もない中傷など放っておけという穏健派に分かれ、カンカンガクガクの議論がおこなわれた。
 議論は白熱するばかりで、なかなか決着に至らない。
 詳細は後に譲るが、その時大川が打った手も、一人のキーマンを通じて全体を動かすという方法だった。
 
 すでに二年前に退会していた私は、その場にいない。これは、そこに参加していた複数の人から聞いたものであるとお断りしておかなければならない。しかし話を聞きながら、私にはその光景が見えるような気がした。相変わらずである。以前とまったく 同じ自己保身のテクニックが使われている。
 講談社に対する挑戦が、世間の顰蹙を買うかたちで挫折した今、その幹部は詰め腹を切らされるように、○○支部にまわされている。 また、テレビの討論番組にも出演して大いに気を吐いた大沢敏夫も謹慎を命じられているという。
 
 私のいた頃から、大川は幹部職員の首を頻繁にすげ替えた。何かあると、すぐに地方の支部へ飛ばされる。そこで会員獲得に功績があれば、また本部へ呼び戻す。ひどいときは、三ヵ月も置かずに配置替えになる。一人の人間を長く身近に置くことに、何かの恐れを抱いているかのようであった。
 
 もし、私があのまま会に留まっていたら、この第一の大黒天も、どこかの支部へ飛ばされていたに違いない。
 支部長と本部の最高幹部では、天と地ほどの違いがある。一方は、会員集めや寄付集めに奔走しなければならない。しかし他方私たちは、本部の大先生である。地方へ講師として行けば、下にも置かない歓迎を受ける。女性にとりまかれ、握手やサインまで求められる。三日やったらやめられない、というところだろうか。
 
 しかし、信じ切れない宗教団体の幹部でいることが、私には苦しくてならなかった。たとえどんなに給料をもらおうと(八九年当時、「来年は年収一〇〇〇万にしてやるぞ」と主宰先生はおっしゃっていた)、本部の大先生といかに崇められても、自分が信じ切れないものを信ぜよと説く。これ以上の拷問はないのである。
 
 
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宗教団体「幸福の科学」に約二十年間在籍していた元信者です。幸福の科学が信者に見ないように指導している内部告発、退会者からの情報や意見を、現信者である親友Kさんのための参考資料としてまとめていこうと思っています。

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