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楽山日記(by 自由)に
興味深い記事がありましたので紹介します。
【転載元】楽山日記(by 自由)
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興味深い記事がありましたので紹介します。
「『大川隆法の霊言』を読んだ」を読みました。
参考ブログ
・『大川隆法の霊言』を読んだ|すいふとのブログ
・『大川隆法の霊言』を読んだ(by すいふと)|オーケーのブログ
すいふとさんの記事、読みました。
『大川隆法の霊言』は、著者の米本さんが、大川隆法(霊)を論破しちゃうという本ですね。
これについては、「資料集」にはこんなのがあります。
(以下に、要点だけ抽出しました。色分け、下線などは、わたしがつけました。)
●1990年
『太陽の法/角川文庫 H2.8.10初版 H2.10.30五版』第4章悟りの極致
>二千五百数十年前、インドで法を説いた、ゴーダマ・シッダルタ、すなわち釈迦牟尼仏です。
●1992年
『大川隆法の霊言 1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』
[ 古代インドのサンスクリット語は英語のアルファベットと親戚関係にある表音文字だから基本的にローマ字に置き換えられる。つまり、ゴーダマとゴータマの違いはDとTの違い。バットがバッドになったら大違いではないか。
湘南工科大学の佐伯真光教授は次のように指摘してくれたよ。
「釈迦の名前は梵語つまりサンスクリット語で Gautama Siddh?rtha と書きます。日本語で表記すればゴータマ・シッダールタとする以外にありません。南方仏教の言語パーリ語でもゴータマ・シッダッタであって、決してゴーダマではありません」
日本人だったら四郎が二郎になるような間違いをどうして釈迦本人が犯すのか。]
●1994年
『新・太陽の法/1994.6.25初版、1995.1.30第52刷』第4章悟りの極致
>二千五百数十年前、インドで法を説いた、ゴータマ・シッダールタ、すなわち、釈迦牟尼仏です。
□参考 例文仏教語大辞典 石田瑞麿著
>しゃかむに-ぶつ 釈迦牟尼仏 ~略~ ゴータマ Gotama はその氏姓のパーリ名((梵)ガウタマGautama)で、?曇(くどん)、?答摩(きょうとうま)などと音写する。また名は(梵)シッダールタSiddh?rtha (巴)シッダッタ Siddhatthaといい、悉達多(しつだつだ)、悉多(しつた)などと音写する。姓と名とをあわせてゴータマ・シッダッタあるいはガウタマ・シッダールタと呼ぶこともある。
*註 変換できないやつは「?」にしました。
*
●1990年
『太陽の法/角川文庫 H2.8.10初版 H2.10.30五版』第4章悟りの極致
>六大神通力とは、天眼(てんげん)、天耳(てんじ)、他心(たしん)、宿命(すくめい)、神足(しんそく)、漏尽(ろうじん)の六つです。『太陽の法/角川文庫』P143
・註 カッコ内は本では、ふりがなの形になってる。
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』P108
〔天耳は「てんじ」じゃなくて「てんに」、宿命は「すくめい」じゃなく「しゅくみょう」、漏尽は「ろうじん」でなくて「ろじん」。六つの神通力の名前の三つまでが違ってる。「ろじん」を「ろうじん」と読んだのは、きっと「漏電」の「ろう」を思い出したんだろうなぁ。〕
●1994年
『新・太陽の法/1994.6.25初版、1995.1.30第52刷』第4章悟りの極致
>六大神通力とは、天眼(てんげん)、天耳(てんに)、他心(たしん)、宿命(しゅくみょう)、神足(じんそく)、漏尽(ろじん)の六つです。
□参考 例文仏教語大辞典 石田瑞麿著
>じんづう 神通 ~略~ 神足(じんそく)・天眼(てんげん)・天耳(てんに)・他心・宿命(しゅくみょう)の五神通 ~略~ (6)漏尽通(ろじんつう)は漏尽智証通ともいい、煩悩(ぼんのう)をすべて断ち得て二度と迷界に生まれないことをさとる通力である。
*
●1990年
『太陽の法/角川文庫 H2.8.10初版 H2.10.30五版』
>一九八一年一月のことでした。高橋信次の著作『心の発見・神理編』ははじめて読みはじめたのですが ~略~
>同年の三月二十三日、日曜日だったと思います。突然、だれかが自分に話しかけようとしているという気持ちに打たれ、いそいで、カードと鉛筆を用意しました。鉛筆をもつ私の手が、まるで生きもののように動きはじめ、「イイシラセ、イイシラセ」と、カードに何枚も書きはじめたのです。
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』
〔三月二十三日は日曜日ではないのだ! 一九八一年の三月二十三日は日曜日ではなく、月曜日なのだよ(電子手帳のキーを叩いて見せる)。~略~ 月曜日と火曜日を間違えるなら、まだわかるけど、平日と日曜日の違いは記憶としてははっきりしているはず。それにすべての出発点になるような重要な日のことだ。鮮烈にその日のできごとはあなたの心に焼きついているはず。~略~ この間違いが何を意味するか。要するに「イイシラセ」など実はなかったのだ。~略~
では、なぜ三月二十三日(日曜日)という日を霊界通信の出発点としたか。
そこにはなんらかの真実が含まれているはずだ。推理してみるに、大川が三月二十三日を日曜日と錯覚したのは、『太陽の法』を執筆していた一九八六年のことではないか。三月二十三日まで書き進んで、ふと八六年のカレンダーを見たら、三月二十三日は日曜日になっていた。それでつい日曜日としてしまったのではないか。〕
●1994年
『新・太陽の法/1994.6.25初版、1995.1.30第52刷』第6章エル・カンターレへの道
>一九八一年三月二十三日、春の陽射しがやわらかい午後、私にとっては、とても気分のよい日でした。~略~ところが、突然、自室の中に目に見えないものの気配を感じました。そして誰かが自分に話しかけようとしているという気持ちに打たれ、急いでカードと鉛筆を用意しました。
□参考 あの日は何曜日? http://www5a.biglobe.ne.jp/~accent/kazeno/calendar/
*
●1988年
『観自在力/1988.11.10第1刷 1990.3.20第3刷』P78
>観自在力とは、古代のインド語ではアポロキシティー・シュバーラーと言います。
●1990年
『太陽の法/角川文庫 H2.8.10初版 H2.10.30五版』第4章悟りの極致
>観自在菩薩は、インドの釈迦の時代には、アポロキシティー・シュバーラーと呼ばれておりました。
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』
〔違います。サンスクリット語ではアヴァローキテーシュヴァラ。〕
●1994年
『新・太陽の法/1994.6.25初版、1995.1.30第52刷』第4章悟りの極致
>観自在菩薩は、インドの釈迦の時代には、アヴァローキタ=スヴァラ(サンスクリット語ではアヴァローキテーシュヴァラ Avalokite?vara)と呼ばれておりました。
*
●1991年
『釈迦の本心/角川文庫 H3.9.25初版』P85
>この「波羅蜜多」という言葉について、いま一度、説明を加えておくとするならば、「波羅」という言葉は、これは「パーラ」とインド語では言って、「内在する」という意味です。「心の奥底の」、という意味です。「蜜」というのは、これは蜂蜜の蜜ですが、「非常に価値あるもの」「値打ちのあるもの」という意味です。「多」は、それが多いという様、こんこんと湧いてくる様を言います。すなわち、心の井戸を深く掘ったら、こんこんと湧いてくる叡智、そういう意味で「波羅蜜多」という言葉を使っているのです。
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』P79
〔この「波羅蜜多」について佐伯教授は次のように説明してくれました。「波羅蜜多はサンスクリット語の paramita(パーラミター)を漢字で音写したものですから、波羅蜜多そのものに意味はありません。したがって、この解釈はサンスクリット語そのものから意味を探らなければなりません。言語学的に parami(最高の)+ta(状態)と分解し、『究極最高の状態』と解釈する説もありますが、中国や日本では param(彼岸に)+ita(到った)、つまり『彼岸に至る行』と解釈するのが普通です。なんですか、蜜は蜂蜜の蜜で、非常に価値あるものだ、なんて」〕
・註 上記paramitaの最初と最後のaは、上に一本線があるやつです。
●1997年
『釈迦の本心/1997.11.20初版 1998.1.13第7刷』第3章波羅蜜多の思想
>漢訳の「波羅蜜多」というのは、インドの言葉パーラーミター(P?rami?)の音写で、到彼岸、つまり「理想状態に達すること」という意味ですが、「波羅蜜多」は意訳もよくできています。「波羅」を「内在する」、あるいは「心の奥底の」という意味にとり、「蜜」は「非常に価値あるもの、値打ちのあるもの」、「多」は「こんこんと湧いてくるさま」に意訳すると、筋が通ります。
□参考 例文仏教語大辞典 石田瑞麿著
>はらみつ 波羅蜜 (梵)パーラミターp?ramit?の音写。波羅蜜多とも書く。到彼岸、度無極(どむごく)、度と訳す。迷いの此岸からさとりの彼岸に到る意味で、通常は菩薩(ぼさつ)がそのために修する行(ぎょう)のこと。 ~略~
*註 変換できないやつは「?」にしました。
*
●1991年
『釈迦の本心/角川文庫 H3.9.25初版』P45
>菩提樹下(ぼだいじゅか)において悟りを開いた~略~
・註 カッコ内は本では、ふりがなの形になってる。
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』P108
〔これは日本語の問題。「ぼだいじゅか」ではなく「ぼだいじゅげ」なのです。
「まぁ、仏教関係者が "じゅか" なんて言ったら、聞いてる方が恥ずかしくなってしまうような間違いです」(佐伯教授)〕
●1997年
『釈迦の本心/1997.11.20初版 1998.1.13第7刷』第2章八正道の発見
>さて、菩提樹下(ぼだいじゅげ)において釈迦が悟りを開いたとき~略~
*
●1991年
『釈迦の本心/角川文庫 H3.9.25初版』
>当時のインドの社会制度ゆえに、妻を貰わざるを得ず、ヤショーダラを始め、
>カピラ城を出てすでに数年の歳月が流れ、父王シュート・ダナー、また義母であったマハー・パジャパティ、さまざまな取り巻き~略~
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』
〔サンスクリット語ではのばすがどうかで大違いなんだ。「サンスクリット語では人の名前の末尾の音を長音にすれば女性の名前ということになる」(前出佐伯教授)のだよ。だからヤショダーラというのは女の名ではないんですよ。本当はヤショーダラーが正しい。〕
●1997年
『釈迦の本心/1997.11.20初版 1998.1.13第7刷』第1章菩提樹下の悟り
>当時のインドの王族の習慣にならって、納妃の儀がとりおこなわれ、第一妃ヤショーダラーをはじめ~略~
>カピラヴァストゥを出て、すでに数年の歳月が流れた。父王シュッドーダナ、義母マハープラジャーパティー、そして~略~
*
●1991年
『釈迦の本心/角川文庫 H3.9.25初版』P2
>村娘はチュダータとその名を名のりました。そのチュダータは~略~4)
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』P104
〔「村娘の名前はスジャーター。コーヒーミルクの商品名で『スジャータ』ってのがありますね。あれはこの村娘の名前から取ったものなんですよ。チュダータねえ。誰ですかそれ」前出佐伯教授〕
●1997年
『釈迦の本心/1997.11.20初版 1998.1.13第7刷』第1章菩提樹下の悟り
>その村娘はゴータマの姿を見ると、橋を渡り、駆け寄ってきました。そしてスジャーターと名乗ると、ひと椀のミルク粥を差し出しました。
これらを見る限りは、大川隆法の書籍は、批判を受け入れる形で、改訂されていると言えそうですし、さらにはこういう状況を見ると、「方便の時代は終わった」を断行しなければならなかった理由が分かるような気がします。
· 2013/3/19
参考ブログ
・『大川隆法の霊言』を読んだ|すいふとのブログ
・『大川隆法の霊言』を読んだ(by すいふと)|オーケーのブログ
すいふとさんの記事、読みました。
『大川隆法の霊言』は、著者の米本さんが、大川隆法(霊)を論破しちゃうという本ですね。
これについては、「資料集」にはこんなのがあります。
(以下に、要点だけ抽出しました。色分け、下線などは、わたしがつけました。)
●1990年
『太陽の法/角川文庫 H2.8.10初版 H2.10.30五版』第4章悟りの極致
>二千五百数十年前、インドで法を説いた、ゴーダマ・シッダルタ、すなわち釈迦牟尼仏です。
●1992年
『大川隆法の霊言 1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』
[ 古代インドのサンスクリット語は英語のアルファベットと親戚関係にある表音文字だから基本的にローマ字に置き換えられる。つまり、ゴーダマとゴータマの違いはDとTの違い。バットがバッドになったら大違いではないか。
湘南工科大学の佐伯真光教授は次のように指摘してくれたよ。
「釈迦の名前は梵語つまりサンスクリット語で Gautama Siddh?rtha と書きます。日本語で表記すればゴータマ・シッダールタとする以外にありません。南方仏教の言語パーリ語でもゴータマ・シッダッタであって、決してゴーダマではありません」
日本人だったら四郎が二郎になるような間違いをどうして釈迦本人が犯すのか。]
●1994年
『新・太陽の法/1994.6.25初版、1995.1.30第52刷』第4章悟りの極致
>二千五百数十年前、インドで法を説いた、ゴータマ・シッダールタ、すなわち、釈迦牟尼仏です。
□参考 例文仏教語大辞典 石田瑞麿著
>しゃかむに-ぶつ 釈迦牟尼仏 ~略~ ゴータマ Gotama はその氏姓のパーリ名((梵)ガウタマGautama)で、?曇(くどん)、?答摩(きょうとうま)などと音写する。また名は(梵)シッダールタSiddh?rtha (巴)シッダッタ Siddhatthaといい、悉達多(しつだつだ)、悉多(しつた)などと音写する。姓と名とをあわせてゴータマ・シッダッタあるいはガウタマ・シッダールタと呼ぶこともある。
*註 変換できないやつは「?」にしました。
*
●1990年
『太陽の法/角川文庫 H2.8.10初版 H2.10.30五版』第4章悟りの極致
>六大神通力とは、天眼(てんげん)、天耳(てんじ)、他心(たしん)、宿命(すくめい)、神足(しんそく)、漏尽(ろうじん)の六つです。『太陽の法/角川文庫』P143
・註 カッコ内は本では、ふりがなの形になってる。
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』P108
〔天耳は「てんじ」じゃなくて「てんに」、宿命は「すくめい」じゃなく「しゅくみょう」、漏尽は「ろうじん」でなくて「ろじん」。六つの神通力の名前の三つまでが違ってる。「ろじん」を「ろうじん」と読んだのは、きっと「漏電」の「ろう」を思い出したんだろうなぁ。〕
●1994年
『新・太陽の法/1994.6.25初版、1995.1.30第52刷』第4章悟りの極致
>六大神通力とは、天眼(てんげん)、天耳(てんに)、他心(たしん)、宿命(しゅくみょう)、神足(じんそく)、漏尽(ろじん)の六つです。
□参考 例文仏教語大辞典 石田瑞麿著
>じんづう 神通 ~略~ 神足(じんそく)・天眼(てんげん)・天耳(てんに)・他心・宿命(しゅくみょう)の五神通 ~略~ (6)漏尽通(ろじんつう)は漏尽智証通ともいい、煩悩(ぼんのう)をすべて断ち得て二度と迷界に生まれないことをさとる通力である。
*
●1990年
『太陽の法/角川文庫 H2.8.10初版 H2.10.30五版』
>一九八一年一月のことでした。高橋信次の著作『心の発見・神理編』ははじめて読みはじめたのですが ~略~
>同年の三月二十三日、日曜日だったと思います。突然、だれかが自分に話しかけようとしているという気持ちに打たれ、いそいで、カードと鉛筆を用意しました。鉛筆をもつ私の手が、まるで生きもののように動きはじめ、「イイシラセ、イイシラセ」と、カードに何枚も書きはじめたのです。
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』
〔三月二十三日は日曜日ではないのだ! 一九八一年の三月二十三日は日曜日ではなく、月曜日なのだよ(電子手帳のキーを叩いて見せる)。~略~ 月曜日と火曜日を間違えるなら、まだわかるけど、平日と日曜日の違いは記憶としてははっきりしているはず。それにすべての出発点になるような重要な日のことだ。鮮烈にその日のできごとはあなたの心に焼きついているはず。~略~ この間違いが何を意味するか。要するに「イイシラセ」など実はなかったのだ。~略~
では、なぜ三月二十三日(日曜日)という日を霊界通信の出発点としたか。
そこにはなんらかの真実が含まれているはずだ。推理してみるに、大川が三月二十三日を日曜日と錯覚したのは、『太陽の法』を執筆していた一九八六年のことではないか。三月二十三日まで書き進んで、ふと八六年のカレンダーを見たら、三月二十三日は日曜日になっていた。それでつい日曜日としてしまったのではないか。〕
●1994年
『新・太陽の法/1994.6.25初版、1995.1.30第52刷』第6章エル・カンターレへの道
>一九八一年三月二十三日、春の陽射しがやわらかい午後、私にとっては、とても気分のよい日でした。~略~ところが、突然、自室の中に目に見えないものの気配を感じました。そして誰かが自分に話しかけようとしているという気持ちに打たれ、急いでカードと鉛筆を用意しました。
□参考 あの日は何曜日? http://www5a.biglobe.ne.jp/~accent/kazeno/calendar/
*
●1988年
『観自在力/1988.11.10第1刷 1990.3.20第3刷』P78
>観自在力とは、古代のインド語ではアポロキシティー・シュバーラーと言います。
●1990年
『太陽の法/角川文庫 H2.8.10初版 H2.10.30五版』第4章悟りの極致
>観自在菩薩は、インドの釈迦の時代には、アポロキシティー・シュバーラーと呼ばれておりました。
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』
〔違います。サンスクリット語ではアヴァローキテーシュヴァラ。〕
●1994年
『新・太陽の法/1994.6.25初版、1995.1.30第52刷』第4章悟りの極致
>観自在菩薩は、インドの釈迦の時代には、アヴァローキタ=スヴァラ(サンスクリット語ではアヴァローキテーシュヴァラ Avalokite?vara)と呼ばれておりました。
*
●1991年
『釈迦の本心/角川文庫 H3.9.25初版』P85
>この「波羅蜜多」という言葉について、いま一度、説明を加えておくとするならば、「波羅」という言葉は、これは「パーラ」とインド語では言って、「内在する」という意味です。「心の奥底の」、という意味です。「蜜」というのは、これは蜂蜜の蜜ですが、「非常に価値あるもの」「値打ちのあるもの」という意味です。「多」は、それが多いという様、こんこんと湧いてくる様を言います。すなわち、心の井戸を深く掘ったら、こんこんと湧いてくる叡智、そういう意味で「波羅蜜多」という言葉を使っているのです。
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』P79
〔この「波羅蜜多」について佐伯教授は次のように説明してくれました。「波羅蜜多はサンスクリット語の paramita(パーラミター)を漢字で音写したものですから、波羅蜜多そのものに意味はありません。したがって、この解釈はサンスクリット語そのものから意味を探らなければなりません。言語学的に parami(最高の)+ta(状態)と分解し、『究極最高の状態』と解釈する説もありますが、中国や日本では param(彼岸に)+ita(到った)、つまり『彼岸に至る行』と解釈するのが普通です。なんですか、蜜は蜂蜜の蜜で、非常に価値あるものだ、なんて」〕
・註 上記paramitaの最初と最後のaは、上に一本線があるやつです。
●1997年
『釈迦の本心/1997.11.20初版 1998.1.13第7刷』第3章波羅蜜多の思想
>漢訳の「波羅蜜多」というのは、インドの言葉パーラーミター(P?rami?)の音写で、到彼岸、つまり「理想状態に達すること」という意味ですが、「波羅蜜多」は意訳もよくできています。「波羅」を「内在する」、あるいは「心の奥底の」という意味にとり、「蜜」は「非常に価値あるもの、値打ちのあるもの」、「多」は「こんこんと湧いてくるさま」に意訳すると、筋が通ります。
□参考 例文仏教語大辞典 石田瑞麿著
>はらみつ 波羅蜜 (梵)パーラミターp?ramit?の音写。波羅蜜多とも書く。到彼岸、度無極(どむごく)、度と訳す。迷いの此岸からさとりの彼岸に到る意味で、通常は菩薩(ぼさつ)がそのために修する行(ぎょう)のこと。 ~略~
*註 変換できないやつは「?」にしました。
*
●1991年
『釈迦の本心/角川文庫 H3.9.25初版』P45
>菩提樹下(ぼだいじゅか)において悟りを開いた~略~
・註 カッコ内は本では、ふりがなの形になってる。
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』P108
〔これは日本語の問題。「ぼだいじゅか」ではなく「ぼだいじゅげ」なのです。
「まぁ、仏教関係者が "じゅか" なんて言ったら、聞いてる方が恥ずかしくなってしまうような間違いです」(佐伯教授)〕
●1997年
『釈迦の本心/1997.11.20初版 1998.1.13第7刷』第2章八正道の発見
>さて、菩提樹下(ぼだいじゅげ)において釈迦が悟りを開いたとき~略~
*
●1991年
『釈迦の本心/角川文庫 H3.9.25初版』
>当時のインドの社会制度ゆえに、妻を貰わざるを得ず、ヤショーダラを始め、
>カピラ城を出てすでに数年の歳月が流れ、父王シュート・ダナー、また義母であったマハー・パジャパティ、さまざまな取り巻き~略~
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』
〔サンスクリット語ではのばすがどうかで大違いなんだ。「サンスクリット語では人の名前の末尾の音を長音にすれば女性の名前ということになる」(前出佐伯教授)のだよ。だからヤショダーラというのは女の名ではないんですよ。本当はヤショーダラーが正しい。〕
●1997年
『釈迦の本心/1997.11.20初版 1998.1.13第7刷』第1章菩提樹下の悟り
>当時のインドの王族の習慣にならって、納妃の儀がとりおこなわれ、第一妃ヤショーダラーをはじめ~略~
>カピラヴァストゥを出て、すでに数年の歳月が流れた。父王シュッドーダナ、義母マハープラジャーパティー、そして~略~
*
●1991年
『釈迦の本心/角川文庫 H3.9.25初版』P2
>村娘はチュダータとその名を名のりました。そのチュダータは~略~4)
●1992年
『大川隆法の霊言/1992.1.10第一刷 1992.2.20第二刷』P104
〔「村娘の名前はスジャーター。コーヒーミルクの商品名で『スジャータ』ってのがありますね。あれはこの村娘の名前から取ったものなんですよ。チュダータねえ。誰ですかそれ」前出佐伯教授〕
●1997年
『釈迦の本心/1997.11.20初版 1998.1.13第7刷』第1章菩提樹下の悟り
>その村娘はゴータマの姿を見ると、橋を渡り、駆け寄ってきました。そしてスジャーターと名乗ると、ひと椀のミルク粥を差し出しました。
これらを見る限りは、大川隆法の書籍は、批判を受け入れる形で、改訂されていると言えそうですし、さらにはこういう状況を見ると、「方便の時代は終わった」を断行しなければならなかった理由が分かるような気がします。
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自己紹介:
宗教団体「幸福の科学」に約二十年間在籍していた元信者です。幸福の科学が信者に見ないように指導している内部告発、退会者からの情報や意見を、現信者である親友Kさんのための参考資料としてまとめていこうと思っています。
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