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楽山日記(by 自由)
興味深い記事がありましたので紹介します。

幸福の科学と私 先祖供養祭
2013/3/14
 
先祖供養祭
  
幸福の科学の正会員となり、しばらくした頃でした。それこそ唐突に先祖供養祭という儀式がはじまりました。会側の説明によると、この儀式に参加することで、先祖の住む霊界層が一段上がるということでした。
 
私はこの話を聞いて、すぐに「それはおかしい」と思いました。右の説明では、高級霊に下位霊界の住人の住居を決める権限があるようです。しかし従来の幸福の科学では、霊界における住居は本人の悟りの程度によって決まるとしていたはずです。
 
また幸福の科学側は、先祖供養祭に参加するなら、地獄に堕ちている先祖を天上界に引き上げることもできるとも説明しました。
 
これも従来の教えと矛盾した考え方です。大川隆法は、高級霊と地獄霊とでは心の波長が異なるために、お互いに干渉できないと説いています。つまり高級霊は地獄霊に接触できず、地獄霊を救いたくても救えないのです。地獄霊が救われるには、本人が悟る以外に方法はないのです。漫画『天国の門』の反省の章では、このことがリアルに描かれています。
 
やはり、先祖供養祭は、それまでの幸福の科学の教えとは矛盾しています。私は、先祖供養祭についての幸福の科学側の説明にはどうしても納得できませんでした。
 
しかし、その一方では「そういうこともあるかもしれない」とも思ってみたりもしました。大川隆法への信仰のためです。大川隆法が「そうだ」というのならばそうかもしれないと考えたのです。
 
けれど、いくら幸福の科学を信じたくとも、いつまでも自分の心に嘘はつけません。先祖供養祭の正当性は、適当な理屈を使えばいくらでも説明できます。しかし理屈だけでは心から納得はできません。
 
私はだんだんと支部から足が遠退きました。
 
   *
 
幸福の科学に対する不信が起こってから、二、三ヶ月が過ぎた頃でした。私は大きく体調を崩しました。私はすぐに、体調の崩れた原因は「疑」の思いのためではないかと怖れました。「疑」のせいで悪霊に憑依されたと考えたのです。
 
しかしそう考えたからといって、自分の感じ方を変えることはできるものではありません。理性に基づく気持ちなら変えることも可能かもしれませんが、感性、感覚は自分の意思の通りには動かないものです。
 
私は、先祖供養祭はおかしいという感性、感覚を払拭することはできませんでした。
 
   *
 
私はどちらかというと人のアラや欠点が目につくタイプの人間です。そしてそういうアラや欠点に寛大になれない人間です。
 
しかしすべての人間を否定はしません。こういう私であっても、手放しで賞賛したい人間、尊敬している人間はいます。
 
いつか地元の音楽愛好家の演奏会に出掛けたことがありました。このとき私は、心の中で、彼らの演奏をくさしてばかりいました。そういう自分は、ひょっとしたら性格が歪んでいるのではないかと心配したりしました。
 
が、このあと、プロの演奏家の演奏を聴いたときは、私は少しも不満を覚えませんでした。腐しもしませんでした。プロの演奏家の演奏にもミスはありましたが、それでも私は、その演奏に満足していたのです。
 
私はこの時はじめて、自分は人のアラや欠点には寛大になれないが、その一方で、いいものはいいと感じる感性は持っているらしいと気付きました。
 
考えてみると、私が傾倒するものは、大抵の場合、世間的にもある程度の評価を受けているものばかりです。このことから私は、自分にはいいものはいいと判断する程度の感性、感覚は備わっているようだと考え、わずかながら自分の感性、感覚に自信を持つようになりました。
 
それだから私は、幸福の科学の先祖供養祭を「おかしい」と感じた自分の感性を信じたいと思います。ひょっとするとそのせいで死後、地獄に堕ちるかもしれません。そういう不安と恐怖はあります。しかし自分の感性によって判断した結果、地獄に堕ちるのなら、それはそれである程度は納得できそうな気がします。
 
   *
 
大川隆法は、ある思いを抱いたとき、それが本当に自分の思いであるか考えよ、自分以外のものに、そう思わされているのではないかといいます。ようするに悪霊、悪魔に心を支配されていないか注意せよという意味です。
 
この考え方からすると、あるいは、私が先祖供養祭を受け入れられないのも、悪霊、悪魔のそそのかしのせいかもしれません。しかし先祖供養祭を受け入れられない私の思いは、もう十年近くも続いているのです。私にはそんなに長い間、自分が悪霊に憑依され続けるとは信じられません。
 
私はこの十年足らずの間、大川隆法を信じ切れずに悩んできました。その悩みは、先祖供養祭はおかしいと確信しつつも、その確信は同時に大川隆法に対する否定、不信であり、それは即、堕地獄につながるのではないかという恐怖と不安でした。今でも、この種の恐怖と不安は完全になくなってはいません。この恐怖と不安は、あるいは一生涯、続くのかもしれません。
 
しかしそれでも私は「我を信ぜよ」という大川隆法より、そういう彼を信じ切れない自分の感性、感覚の方が正しいのではないかという気持ちを抑圧することはできません。
 
私は自分の感性によって、幸福の科学は本物であると決断し、入会を望みました。そして今また、自分の感性によって幸福の科学はおかしいと考えて、その活動から距離をおいているわけです。これはある意味では、幸福の科学に入会した頃の自分に戻ったというだけのことかもしれません。
 

【転載元】楽山日記(by 自由)

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