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楽山日記(by 自由)
興味深い記事がありましたので紹介します。

幸福の科学と私 理性と信仰心のバランス感覚
2013/3/16
 
理性と信仰心のバランス感覚
  
幸福の科学は当初「正しき心の探究」を掲げていました。「正しき心」とは「神の心」でもあるともいいました。それがいつのまにか「神の心を信ぜよ」「神を信ぜよ」「我を信ぜよ」「エル・カンターレを信ぜよ」と変わっていきました。
 
つまり幸福の科学の理念は、自己内部の神性の探究から、エル・カンターレ信仰に変わったということです。
 
   *
 
最近の幸福の科学では、小知を捨ててエル・カンターレを信ぜよと説いています。この場合の小知とは、おそらく些末な議論、疑念の意でしょう。
 
たしかに人間知では、エル・カンターレの心はわからないのかもしれません。理解できないのかもしれません。無意味な我執を放棄して、エル・カンターレに帰依しきることは大切でしょう。
 
しかし私見ながら、小知を捨てろというのは、ちょっと乱暴な気がします。それは何が小知であるか、判断が難しいからです。何が些末な議論であるか、執着であるかわからないからです。その判断はおそらく、人によってまちまちでしょう。うっかりすると「エル・カンターレの教えに少しでも反する考えが即ち小知である」と断じられかねません。私はその点を危惧します。
 
また「小知を捨ててエル・カンターレを信ぜよ」という言葉は、どうも一般的ではありません。この教えはだれもが納得できる考えではないでしょう。
 
幸福の科学の会員であれば、こういう教えに従うことこそ、謙虚な信仰であり、当たり前だというかもしれません。しかし一般人からすれば、奇異であり、特殊な教えに見えるにちがいありません。
 
が、これに比べて「正しき心の探究」の場合はどうでしょう。「正しき心の探究」は、正しい心とは一体どういう心をいうのだろうか、一つ皆で探究してみませんかという意の言葉でしょう。先にも述べた通り、神の心の探究といっても、または良心の探究といっても、仏性の探究といってもいいかもしれません。どういう言い方をしても、つまりは正しさの探究という意味です。正しさとは何かを知ろうというのです。
 
この理念に、十人が十人、百人が百人賛成してくれるはずだとはいいませんが、少なくとも「小知を捨てて、エル・カンターレを信ぜよ」という教えよりは、「正しき心の探究」の方に賛同する人は多いのではないでしょうか。
 
しかし現実とは不思議なものです。
 
より広い範囲の人々に共感されるはずの「正しき心の探究」の時代より、「小知を捨ててエル・カンターレを信ぜよ」という時代の方が、幸福の科学の会員数は増えているからです。「正しき心の探究」という理性的な理念より、「小知を捨ててエル・カンターレを信ぜよ」という宗教的、下手をすると感情的な思想を掲げてからの方が、よほど会員は増えているのです。
 
何となくその理由はわかる気もしますが、その一方では淋しくもあります。
 
   *
 
ついこの間、支部に出掛けてきました。そのとき周囲から聞こえてくるのは、「ありがたい、ありがたい」「エル・カンターレ様はすばらしい」「感謝、感謝」「布施をお願いします」というような言葉ばかりでした。
 
近くにいた、普段、支部に通いつめているらしい活動会員に、教えについて質問すると、「えーっ」といって慌てているだけで、とうとう答えらしい答えは返ってきませんでした。他の会員たちも似たり寄ったりでした。
 
このときの私の質問は、特に難問というほどのものではなかったはずです。どちらかというと取るに足らないものだったはずです。質問内容ははっきりとは覚えていませんが、たしか支部の壁に貼ってあるポスターに「信仰心の発展段階説」という見慣れない言葉があったので、その説明を求めただけでした。
 
しかし先に述べたように、その質問に答えられる会員はいませんでした。あるいは支部の職員に訊いてみたら、答えが得られたかもしれません。が、そのときの私には、どうしてもそれをする勇気が出ませんでした。もし職員でさえ答えられなかったらと想像したら質問なんかできっこありません。もし職員でさえ答えられなかったら、あまりに淋しすぎます。
 
数年前の支部では、エル・カンターレの賛美と感謝はもちろん、教えの話題は尽きることはなかったと私は記憶しています。反省と光明思想の使い分け、伝道の精神、伝道の方法論、与える愛とは何か、正しき心の探究、霊界の諸相、愛の発展段階説、知の発展段階説、人生哲学の研磨等々……会員たちは支部のあちこちで小さな環をつくり、夜遅くまで語り合っていたものです。
 
この頃から見ると、現在の幸福の科学はずいぶん変わったと思います。たまたまちょっと顔を出してみたときの印象だけでそんなことをいうのは傲慢かもしれません。しかし私の正直な印象は、「幸福の科学は変わった」というものです。
 
   *
 
幸福の科学は宗教なのですから、信仰心を強調するのは当然です。
 
しかしそうはいっても、現在の幸福の科学は、あまりにも信仰心を優先しすぎているように思えてなりません。右のような教えに無知な会員が多数出てきたのはそのせいではないでしょうか。
 
私は別に信仰心を否定するつもりはありません。ただ現在の幸福の科学には、もう少しだけでも、かつてのような理性的、知性的な雰囲気をよみがえらせて欲しいとは思います。正しき心の「探究」という科学的精神と、信仰心は両立できないものではないはずです。
 
こういう考え方は、はたして裏側的な考え方であり、許されないものでしょうか。
 
 
【転載元】楽山日記(by 自由)

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