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獏 論 [幸福の科学アラカルト]より『虚業教団』(関谷晧元著)を全文掲載します。

※本文掲載につきましては著作者である関谷晧元氏ご本人より許可を頂いております。
 また本書籍をWEB上で閲覧可能にして下さった獏論氏のご尽力に心よりの感謝を申し上げます。
 
「『虚業教団』〈幸福の科学〉で学んだものは何だったのか」関谷晧元著(現代書林)
  
  はしがき
 
 コウフクノカガク。
 この不思議な名前に、人は何を思い浮かべるだろうか。 
 講談社へのファックス攻撃で、教団の名を一躍世に知らしめたフライデー事件。 
 ハンドマイクを握り、絶叫する小川知子や景山民夫の勇姿。 
大手広告代理店・電通が制作し、繰り返し茶の間に流れたCM ──「時代は今、幸福の科学」をおぽえている方も多いと思う。 
 
 それとも、一九九一年七月十五日東京ドームで催された "御生誕記念祭" だろうか。集まった五万人のド肝を抜いた、主宰・大川隆法の 「星の王子さま」や「冒険ダン吉」を思わせる異様ないでたちや、おかしな抑揚をつけた演説だろうか。
 しかし私たちは、誰一人そういうものを望んで〈幸福の科学〉を設立したわけではなかった。たぶん、大川隆法その人にしても。 
 
 コウフクノカガク。 
 元会員の胸には、さまざまな思いが去来するはずだ。去ることになった理由は何であっても、この名前に一度は夢をみた。それは確かなのだから。 
 いま、私の胸に一つの苦い問いがある。
 ── 宗教に団体は必要なのか!? 
 神と共に生きるのには、組織が必要なのか。一人では、神の望む生活は不可能なのか。教団に入らなければ、幸福は科学できないのか。 
 断じて、否である。
 むしろ団体が、組織が、人を神から遠ざける。 そんな場面を、私は 〈幸福の科学〉 という神理探究の集団に幾度となく見てきた。 
"これでいいのか!" そのたびに、心がかきむしられた。 
 
 私は一人になって静かにまわりを見まわす。
 素晴らしい人たちが身近にたくさんいる。宗教を知らなくても、明るく優しく、暖かく、協調性に富んだ人々。健全で、力強く、楽しい人々。私たちが必死で追い求めた宗教の理想を、彼らは易々と実現しているように見える。
 どんな教団にも属さず、理屈を振りかざすこともなく、職場で、あるいは家庭で、精一杯生き生きと暮らしている。 
 この人たちこそ、神のみこころの実践者ではないのか。 
 そのことを知るために、私は一つの教団を通過してきたのかもしれない。 
 私にとって 〈幸福の科学〉 は一つの通過点であった。だから卒業の時がやってきた。
 
「そんなことを言うおまえは誰か」と、読者は問うだろうか ──。 
 私は一九八六年〈幸福の科学〉発足以前から学習会の基礎造りに人生を懸けてきた男である。 順調な仕事を閉鎖し、自社ビルを処分し、家族との辛い別れを体験しながらも、すべてを捨てて打ち込んできた者である。 
 そのあいだには、教団の最重要ポストを幾つも歴任してきた。 
 組織として形が整う前は、活動推進委員として基盤造りに励んだ。会が動き出すと、秘書課長として大川隆法に密着。その私生活にも深くかかわった。大川隆法・恭子夫妻の仲人もしている。
 
 初代総務局長としての華々しい武勲もいくつかある。幹部人事を担当し、資金計画を立て、出版ルートを開拓した。他教団との折衝も手がけた。あの紀尾井町ビルヘの入居も、それを発案し、折衝し、勝ち取ったのは私である。
 本部講師となり、会の基本原理である 「四正道」 を解説して全国を巡回した。
 あの頃にあった草創期の熱気 ―─。 
 いま思い出しても、自然と熱いものがこみあげてくる。文字通りゼロからの出発。 情熱の奔流に身を任せ、しゃにむに舟を漕ぎつづけた。そして、小さな舟が堂々たる大型船になったとき、伸び盛りのこの会を私は "卒業"した。 
 一九八九年十月のことである。
 決別の日から、早くも四年が過ぎようとしている。 
 
 その後、さらに会は大きく発展した。会員は急速に膨張し、その数は五〇〇万人とも七〇〇万人とも言われるほどになった。しかしその半数、いや九割以上はすでに脱会していると聞く。
 いま脱会者の多くは宗教難民となって、心をさまよわせている。何かを求め、 辿り着くべきところを懸命に探しつづけているに違いない。私には、その思いが痛いほどよくわかる。一度宗教に夢を託した人間の宿命である。
 四年の歳月は、過去を冷静に振り返る余裕を私に与えてくれた。客観的な目で、ようやく会を見ることができるようになった。今こそ、〈幸福の科学〉の設立から脱会に至るまでの魂の遍歴を、率直に語ろうと思う。
 
 いま、しみじみ思うことは、宗教団体に身を置いて学習する以上の、神理探究法、自己変容の道の存在を強く感じていることである。 
 しかし、それを語ろうとする時、どうしても一度は、今までの過程・事実について是非を問い、中立公平な第三者の立場に戻らねばならない。 
 この書は、その意味で私自身の点検書でもある。 
 
 最初にお断りしておきたいのは、私は〈幸福の科学〉のすべてを非難するつもりなど毛頭ない、ということである。
 その教義内容は、たとえ世間の有識者が何と言おうと、良いことを言っているのだし、また「霊性時代の樹立」 「偉大なる常識人」というスローガンも、時節柄を鑑みて思うに的を得ていると賛同している。
 ただ問題なのは、その本来の素晴らしい教えが、〈教団〉 という形に形勢されていく途中のどこかで、天の御心にあるまじき形態に、 内容が変化してしまうことである。 
 僅か数十人、数百人の天使の集いだったものが、飛躍するうちに 「虚業教団」 になっていく。言っていることと、やっていることにどうしてもズレが出てくる。
 宗教教団とは魔物であり、多くの場合には虚業でもある。その意味では大川隆法や善川三朗も私達同様に、大きな魔物に振り回された被害者なのだろう。 
 
 人によっては、〈幸福の科学〉 と大川隆法の未知の部分の暴露本だろうから、思いきり悪く書いてくれるだろうとの "期待" もあった。しかし誹膀中傷は、私たち求道者の本意であるはずがない。
 体験した事実を事実として、ありのままにストレートに書いた。 
 どのように受け止めるかは、読んでくださる方々の心境に委ねるしかない。そう思うと、何の力みもなく安心して書き上げることができた。 
 
 事実は小説よりも奇なり、という。読み方によっては、本書は三面記事的な面白い読み物にもなるだろう。また、別の受け止め方をすれば、理論理屈の本より、いっそう深い神理を本書からくみ取っていただけるものと信じる。 
 コウフクノカガク …… それは、私たちの夢と挫折の物語である。 
 
   一九九三年九月   関谷 皓元 
 
          本書に登場する人物の名前は敬称を略し、
         〈幸福の科学〉会員の名はすべて仮名とします。



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自己紹介:
宗教団体「幸福の科学」に約二十年間在籍していた元信者です。幸福の科学が信者に見ないように指導している内部告発、退会者からの情報や意見を、現信者である親友Kさんのための参考資料としてまとめていこうと思っています。

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