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獏 論 [幸福の科学アラカルト]より『虚業教団』(関谷晧元著)を全文掲載します。

※本文掲載につきましては著作者である関谷晧元氏ご本人より許可を頂いております。
 また本書籍をWEB上で閲覧可能にして下さった獏論氏のご尽力に心よりの感謝を申し上げます。
 
「『虚業教団』〈幸福の科学〉で学んだものは何だったのか」関谷晧元著(現代書林)

 第4章  愛なき教団だから 「愛」 を説くのか
 
  「高橋信次」 はなぜ大川隆法に霊言したのか
 
 一九八八年の春、はじめて GLA から正式な抗議文が送られてきた。内容は、「繰り返しニセ信次先生の本を出されては困るから止めてほしい」 というものだった。それを読んだ私たちは、「なにがニセ信次だ!」 「信次先生の霊が語っておられるのだぞ」と大いに憤慨した。
 しかし、GLAが抗議するのもあたりまえだろう。
 
 八六年十二月に 『高橋信次霊言集』 を出して以来、大川は 『高橋信次の新復活』(八七年五月) 『高橋信次霊訓集』 三巻(同年六月、八月、十月) 『高橋信次の天国と地獄』(八八年一月) とたてつづけに高橋の霊が登場する本を出版していた。それ以降も 『高橋信次の新幸福論』 『高橋信次のUFOと宇宙』(以上二冊同年六月) 『高橋信次のユートピア論』(同年八月) 『高橋信次の大予言』(同年九月) 『高橋信次の心の革命』(同年十一月) 『高橋信次の愛の讃歌』(同年十二月)と続く。
 
 宗教学者の島田裕巳の調べによれば、その霊言集は一六冊になり、大川に降りた回数も七〇回になるという。この数は、ほかの霊とくらべて群を抜いて多い。 〈幸福の科学〉を特徴づける最も重要な高級霊なのである。
 
 GLA としては、当然心中おだやかではない。亡くなった自分たちの教祖、神とも崇める教団創設者が、こともあろうに何の関係もない他教団に出現し、生前には聞いたことも
ないような話をしだしたのだから。
 GLA というのは "God Light Association" の略で、一九六九年に高橋信次が設立した 「大宇宙神光会」 を母体とする。高橋は霊界と自由に交信することができ、その教えでは、顕在意識と潜在意識との間にできてしまった想念帯の曇りを反省によって取り去れば、誰でも神とストレートにつながると説いている。
 
 この思想は GLA の枠を超え、精神世界に関心を持つ人々に少なからぬ影響をおよぼした。善川や大川も例外ではなかった。大川の 『太陽の法』 によると、彼がはじめて霊的体験をしたのは高橋の 『心の発見』 を読んでいる最中だったという。
 しかし高橋は、わずか七年の後の一九七六年、その全盛期に自らの予言通り突然世を去った。残されたのは、当時まだ一九歳のお嬢さん、高橋佳子である。偉大な指導者を失ってGLAは混乱し、分裂を重ねた。一時は五〇万とも言われた信者や高橋の信奉者は、宙に迷うかたちになり、その数は一万数千にまで激減している。
 
 そんなとき、不意に別の教団で開祖の霊がしゃべり出した。むろん、宙に迷っているGLA信者や信次ファンを、取り込もうとする大川の戦略でもあったろう。
 たとえば、中原幸枝などは、敬愛する高橋信次の面影を求めて大川に近づいた一人であった。というよりも中原の存在が、大川に高橋信次の霊言を思いつかせたと言ったほうがたぶん正しい。もっと正確に言えば、〈幸福の科学〉 の高級霊団の中心である高橋の霊は、中原の求めに応じて霊言を始めたのである。
 
 ここで大川と中原の出会いについて触れておこう。
 中原は、高橋の存命中からのGLA信者だった。幹部のような特別の立場ではないが、一会員としてずいぶん可愛がってもらったらしい。高橋信次という人は、信者と気軽に接することを好んだようだ。このあたりは、一般会員の前にめったに現れず、常に本部の奥にいて神秘のベールにくるまっていたい大川とはずいぶん違った。自分の霊的能力、信仰の深さに対する確信の差だろうと言ったら、主宰先生にはこっぴどく叱られそうである。
 
 講演会か何かの後、幹部との面談待ちをしているところへ、思いがけず高橋がひょっこりやってきて、「次の人は誰?」と声をかけた。たまたま "次の人" が自分であったおかげで信次先生の知遇を得た、というようなことを彼女は語っていた。
 中原の父親がガンで余命幾ばくもないと宣告されたときは、ガンにはクマザサの葉が利くというので、わざわざ自分でとってきて届けてくれたという。
 
 それで思い出すのが、大川の"顔見せ興行"である。あれほど一般会員との接触を嫌っていた大川が最近になって、会員と親しく接する機会を正月に設けた。一人五分前後の持ち時間で、本尊はお顔を拝みたい人がベルトコンベアー式に次々と入れ代わる。しかし、そのためには何万かの拝観料を包まなければならない。この話を聞いて、私は暗澹たる気持ちになった。
 
 大川の霊言集を読み、中原はそこに亡き高橋信次の思想と通い合うものを感じたらしい。これは決して不思議ではない。父親の善川三朗が高橋の影響を受けていたし、本人も最初の霊的体験は 『心の発見』 を読んでいる最中だったと書いている。霊言集の中に、GLAの元信者が、今は亡き教祖と似たものを感じたとしても少しもおかしくない。
 そこで中原は、「大川隆法というこの霊能力者になら、信次先生の霊が降りるかもしれない」 と考えたのである。歴史に"もし"はないという。 しかし、敢えて問おう。 もし中原がそんなふうに考えなかったら、はたして〈幸福の科学〉は生まれただろうか。
 
 亡き高橋の面影を求めて、中原は霊言集の出版元である潮文社を訪ねていく。何度目かに訪ねたとき、ちょうど 『孔子の霊言』 の出版のため大川が上京してきていた。
「信次先生のご逝去以来、ようやくの思いで真に心の師となる人を見つけた」
〈幸福の科学〉 の発足前後に、中原はよくそう言っていた。
 
 中原幸枝とのこの出会いが、大川隆法に 『高橋信次霊言集』 を書かせたと私は推測している。なぜなら、潮文社から最後に出たこの霊言集は、それまでの七冊とはあまりにも違っているからである。まず、善川というインタビュアーがいなくなり、大川の ── いや霊の独白に変わった。また、高橋信次という名前じたい、それまで霊言していた日蓮や空海、キリスト、ソクラテス、孔子、坂本龍馬、卑弥呼などの中に置くと、明らかに異質なものを感じる。歴史の教科書には必ず登場するような有名人の霊言集がつづいていたところへ、ほんの一握りの人しか知らない、しかも死後一〇年にしかならない人物が突然出現したのである。
 内容のほうも 「集まれ、団結せよ」 と説く、アジテーション風に急変していた。
 
 霊言集の日付によると、トーメンを退職した翌日の七月十八日に、「高橋信次です」と高橋の霊がひょっこり降りてきたことになっている。                           
 大川は 『高橋信次霊言集』 のまえがきで、次のように書いている。
「一九八六年七月、私が、神理伝道のために、勤務していた総合商社を退職するや否や、高橋信次氏からの、ご自身の現在の考えを世に問いたいという、強烈な願いが一条の光となって、私の胸を貫きました。私は同氏の熱意に打たれて、ついにこの書を世に問う決断を致しました」
 しかしこうして見てくると、中原の影響とまでは言わないが、彼女との出会いをきっかけとして 『高橋信次霊言集』 があらわされたと結論するしかない。しかも、中原を前にしてテープに吹き込まれたものとなれば、この霊言集の産みの親はまさしく中原幸枝なのである。
 
 
  底の浅さを思い知らされた GLA との接触
 
 その後も GLA からは何度も抗議文が送られてきた。内容証明も二度ほど来ている。
 しかし、このときの大川はフライデー事件のときと違い悠然としていた。
「放っておけ。返答する義務はないのだから」
 と取り合おうとしなかった。
 
 GLA の幹部がついに中原の自宅まで訪ねてきた。事務所ではなく、中原の自宅へ行ったのはどういうわけだろう。大川の「高橋信次」は、元 GLA 信者である中原の影響によるものと見なしたからなのか。とすれば、彼らは私たちが当時見落としていたものを、敏感に察知していたことになる。
 この訪問は、たまたま中原が留守だったために空振りに終わった。しかし、その報せがもたらされると、〈幸福の科学〉本部にはたちまち緊張が走った。ついに衝突の時がきたか!と、誰もが顔を強張らせた。
 あのときの大川の言い分には一理あったと思う。
「言論は自由。判定は読者がするのだから」
「主宰の佳子先生が来たなら私も会う。しかしナンバー2や3なら、会う必要はない。こちらもそうするまでだ」
 霊言が言論と呼べるかどうかは疑問だが、そのホンモノ・ニセノモの判断は、読者にこそ任せるべきだというのは正論だろう。さすが東大法学部、と心の中で拍手を送った。
 
 また、大川が相手教団のナンバー2や3と会談するというのは、GLA の下に〈幸福の科学〉を位置づけることになる。つまらないことと言えば、確かにつまらない。しかし教団という存在そのものがすでに、自分のほうが正しいのだ、エライのだと言いつづけなければならない宿命を持っているのである。
 
 結局、何らかのかたちで GLA と接触しなければなるまいという結論に達した。『谷口雅春霊言集』 もあるから、同じトラブルが生長の家とも起こる可能性があった。日蓮を祖とする日蓮宗、創価学会、空海の真言宗、親鸞の浄土真宗……可能性は至るところにあった。もっとも、金持ちケンカせずとでも言うのか、はとんどの場合は相手にもされなかったのであるが。
 
「総務局の渉外担当を窓口にしよう。関谷さん、一つやってみてくれ」
 というので、総務局長だった私のところへお鉢がまわってきた。大川をはじめ人生経験の乏しい人間がほとんどだったから、まがりなりにも一つの企業の社長として二〇年の間酸いも甘いも味わってきた私が、問題処理係になることが多かった。
 だが、このときばかりはハタと困ってしまった。基本的には、私も主宰と同じように考えてはいる。しかし、高橋信次先生のことも心から尊敬している。声を荒らげて批判しあうようなことは絶対にしたくない。なんとか平和に、静かに話し合いたいというのが本心だった。
 
 "どちらも、素晴らしい神理を打ち立てようとしているのだ。話し合いによって、お互いに力を合わせ、一つになって進んでいきたい。それこそが天上界にいらっしゃる信次先生の願いであるに違いない。同じ神理を樹立するのだから、他と自を分け隔てるようなことを信次先生がされるはずがない"
 だが、こんな理想論は、いとも簡単に押し流されてしまった。
 
 八八年の十月、〈幸福の科学〉 の代表として、高橋信次の実弟にあたる高橋興和と会うことになった。新宿のホテル・サンルートで、二十七日の二時と日時も決まった。
 はじめて見る信次先生の弟さんは、予想していた通り温厚な紳士だった。
「私は実の弟です。兄の性格は百も承知しています」
 と彼は念を押した。
「ほんとうに兄の霊がでてきたなら、すぐにでも飛んでいって話をしたいと思います。でもねェ、関谷さん。違うんですよ。巧妙に似せてはありますが、兄じゃないんです。私も残念なのですが」
 
 とても真摯な話し方をされた。肉親だからこそ言える実感がともなっていた。私としては、抽象的な反論をするしかなかった。
「それは、あなたの主観ではありませんか。ホンモノかどうかは、読者が決めるものだと思います。イエス様の本だって、いっぱい出ている。信次先生の本がたくさん世に出て教えが広まることは、喜ばしいことじゃありませんか」
「ほんとうの神理を樹立してくれるなら、ありがたいと思います。でも、大川さんが書く本の内容は、絶対に兄のものではありません。あのようなレベルで次々に本を出されては困るんです」
 
 言うまでもなく私は、大川の霊言を信じていた。かすかな疑いを抱きながら、それだけ余計必死になって信じようとしていた。
 
「内容に関して、違いを証明できるんですか」
「二つはハッキリしています。関谷さんも気づきませんか。一つは、"愛の波動が伝わってこない"ということ。愛を説く言葉は上手に並んでいるけれど、暖かみが伝わってきません。ハートではなく 頭で理解させ、うなずかせる感じです。二つ目は、"冗談の言い方の違い"です。大川さんの冗談には品性がありません。兄はあんな下品な言い方のできない人でした」
 
 こう言われてしまうと、なお反論することができなかった。感じや、身近な人しかわからない品性の問題を持ち出されては、マトモな議論にはならない。それだけに、弟さんの言葉にはウムを言わせぬ説得力があった。
 こちらとしては、こんなふうに逃げるしかないだろう。
「大川先生にも深遠な意図があると思います」
 疑いが起こるたびに自分に言い聞かせていたのと、同じ言葉が思わず出てきた。
「少し長い目で見守ってください。きっと信次先生のみこころが形となって表現されていくと私は信じています」
 
 これはもう、霊言はホンモノじゃありませんと言っているに等しい。しかし追い詰められていた私は、そんなことさえ気づかなかった。これでは、弟さんを説得できるはずもないのである。
「このままでは兄の悟りは、この程度の浅いものとして広まってしまうんです。『新幸福論』や『愛の讃歌』はひどいものです。あれでは猥褻書以下です。何が神理ですか。一人ひとりに対して、兄はもっと真剣な愛を持っていました。そこのところを正しく伝えなくてはならないんです」
 
 この猥褒さについては、私も違和感を持って読んだ一人だった。
 たとえば、『高橋信次の愛の讃歌』 にはこういう一節がある。
 「ライオンが、この女性の上にのしかかって、この女性を犯しておるようであります。……かわいそうにこの女性は、三百五十年の間、こうしたライオンを中心とした人間に犯され続けたようであります」
 霊言をまるで信じない心理学者なら、著者の潜在的欲望の現れと見なすだろう。確かに、高橋信次の口から語られたとは信じがたい。
 
 もう一つ、『新幸福論』の一節を、少し長くなるが引用しょう。人間は多かれ少なかれいろんな願望を心に隠し持っているのだから、そのこと自体はとやかくいうつもりはない。
こういうものを高橋信次の霊言だと主張しなければならない、私の苦渋を察していただければいいのである。
 
【 それはね、男ってやっぱり自尊心の動物なんだ。男から自尊心をとったら何も残らないんだよ。「あなたって駄目ね」 とかね。「あなたね、全国平均は、だいたいあれよ、十五分よ」とかね、「一時間は、やはり夜の勤めがあるのよ」とかね。「平均はいくらぐらい、どうのこうの」とかね。こういう男性というのはね、平均もってこられて比較されると、非常にいやなんだよ。「他の人が一時間でしたって俺が三分で何が悪い」って、「一分で何が悪い」って、「あなた、すごく早いのよ」ってこう言われるけど、「あなた一分よ」って「なーに一分で何が悪い」って、「だんだん時間を短縮する傾向にあるじゃないか」って、「新幹線だって速く走りゃいいし、オーブンだって短い方がいいし、電気釜だって早く炊けるのがいいに決まっとるじゃないか、早くって何が悪い」って、「だけど隣りの奥さんに聞けば、だいたい二時間よ、一時間よ」とかね、いっぱい言われますね。 「あなたって肉体的欠陥があるんじゃないの」 って、こういろいろあるけれども、こういうことは決して言っちゃいけない。
 特に男性というのは自尊心の動物だっていうことを忘れちゃいけないね。だから平均だとかね、隣の旦那さんとかね、うちの親戚の人とかそんなの出してきて、比較しちゃいけない。女性はしがちだよ。全国統計なんか知らないくせに、ちょっと聞いたことしゃべるからね。
 男性の肉体的欠陥、絶対言ってはいけない。「体形が悪い」とかね。「あなたは、夜のがへタ」 だとかね、絶対これを言わない。これ大事です。なぜかって、男の自尊心を傷つける。そうすると外へ出てもうまくいかない。家の中でも自信がなくなる。駄目になってきますね。このところ特に気を付けてください。胸に手をあてれば、心当たりある奥さんは九割以上いるはずです。言われたことがあるっていう旦那さんは十割ぐらいいます。
    だから僕もこれだけ力を入れている意味を、みなさん考えてくださいね。なぜ高橋信次がそれだけいうか。まあ考えてくださいよ。】
 
 話し合いは二時間ほどつづいたと思う。私の勉強不足に、弟さんは物足りなさを感じているようだった。勉強不足とは、宗教界全般についての知識のなさである。そうなのだ。〈幸福の科学〉の多くの会員と同じように、私も宗教に対してはほとんど何も知らず大川の本と出会った。そして、入会後に読むものといえば、ほとんどが大川の著作である。それもそのはずで、「おれの本以外に本が読めるなら読んでみろ」 とでも言わんばかりに、立て続けに本が出るのである。
 会に帰って会談の報告をしたが、ありのままを言うことはできなかった。大川のためにも自分のためにも、適当にお茶を濁すしかない。あらましを聞いた大川は、「もう煩くは言ってこないだろう」 と安心した様子だった。
 
 
  GLA に対する大川主宰の異常な憎しみ
 
 いま GLA 事件のことを思い出すと、GLA と高橋佳子に対する大川隆法の異常とも言える憎しみに気づく。"異常とも言える憎しみ"などと言うと、会員の中には、主宰先生を故意に貶めるための意地悪な表現と受け止める人がいるかもしれない。そういう人は、たぶん主宰の本を熟読玩味していない会員だろう。熱心な読者なら、そのことに気づいているはずである。
 
 たとえば、『高橋信次霊言集』 のまえがきにこんなくだりがある。
「高橋信次氏のかつてのお弟子さんの多くが、現在、間違った方向へとそれて行っていることに対し、同氏は、なんとか彼らを、彼らが生きているうちに救ってやりたいと、強い情熱の程を吐露されたのであります」
 また、大天使ミカエルと言われていた高橋佳子に対しては、
「高橋佳子はミカエルではありませんし、ましてや私の本体でも分身でもありません」
 ここにある"私"というのは、『高橋信次の新復活』の中の高橋信次、つまり、佳子の父親の霊である。父親が、娘はミカエルではないというのだから、これ以上確かなことはない。じつに巧妙な攻撃法だった。
 
 高橋興和との話し合いの後、会へ戻ると、大川は真顔でこんなことを言った。
「GLA は今や悪霊の集団と化している。そこの大幹部と会ってきたのだ。当然、関谷さんも悪霊の影響を受けている」
「ほんとですか」
 私は思わず聞き返した。
「ほんとだとも。もう、帰ってきたのを見て、すぐわかった」
 私には、その言葉が不思議でならなかった。弟さんとの会談では、私の旗色は悪かったが、落ちついた礼節ある紳士との話し合いは、私の気持ちを充実させていた。
 "あの話し合いは、両者が力を合わせて神理を中心に団結していくための努力だったのではないか。私の気持ちはこんなに満たされているのに、悪霊に憑かれるなんていうことがあるのだろうか"
 もちろん、そんな思いは口にしなかった。
 
 十二月七日になって弟さんから電話があり、「もう一度ぜひ会いたい。今日しか時間がないが会えないだろうか」 ということだった。たまたま大川が留守にしていたので、職員に断って会いに出かけた。
 交渉は、前回の域を一歩も出るものではなかった。会話は静かだったが、どちらも主張を譲らず、最後には苛立ちさえ感じてきた。弟さんのほうが、おそらく数段冷静だったろう。 もし、ほんとうの神理に立っていたら、少しも苛立つことなどなかったのである。神理ではなく、大川に対して忠実であろうとしていたから私はイライラしていた。
 
 事務所に帰ってくると、ちょうど大川も戻ってきたところだった。
「関谷さん、今日は何かいいことでもあったんですか。なんだか、とてもスッキリした感じですね」
 返事のしようがなかった。高橋興和に会ったとも言い出せず、笑ってごまかした。
 それ以降、私の在籍中は GLAから何の音沙汰もなかった。私のような大川信奉者が窓口ではケンカにもならない、と思ったのだろうか。 あるいは、私を通して〈幸福の科学〉が学習のみであるという底の浅さを知り、どちらがホンモノかはわかる人にはわかると、自信を持ったのかもしれない。
 
 しかし大川のほうは高橋信次の口を借りて、執拗にGLAを攻撃しつづけた。
 GLA の会員のあいだでは、生前から高橋は"仏陀の生まれ変わり"と信じられていた。
一方、大川がはじめて自分を"仏陀の生まれ変わり"であると公言したのは、八九年に出版された『仏陀再誕』によってである。
 しかし〈幸福の科学〉発足の当初から、ごく 内輪では自分は仏陀の生まれ変わりだと打ち明けていた。主宰先生が仏陀の転生であるということは、〈幸福の科学〉では公然の秘密だった。すなわち二人の仏陀が、同時に存在したことになる。
 この点を大川は、どのように考えていたのだろうか。
 
 八七年五月に出版された『高橋信次の新復活』で、彼は高橋の霊にこうしゃべらせるという奇策に出た。
「私自身が、自分を釈迦だと思っていた時もありました」
 つまり、高橋の霊の口から「自分は仏陀の再誕ではなかった」と言わせたのである。
〈幸福の科学〉会員にとっては、高橋本人がそう語ったのと同じだった。
 私が会にいた頃、仲間うちでは「高橋佳子はノイローゼだ」「彼女はじきに死ぬぞ」「もうすぐ死ぬから見ていなさい」と、大川はしつこく繰り返していた。こうした不自然なほど大きな憎悪が、いったい何に由来するのか正確なところはわからない。しかし私は、彼女に向けられた呪いの言葉の端々から、あの憎しみは高橋佳子に対する大川のあこがれの裏返し、コンプレックスではないかと推測している。だが、これはあくまでも推測にすぎない。
 
 
  大事件となったある 「神託結婚」 の失敗
 
 大川主宰に一つの神示が下った。八八年十二月のその神示は、それから二ヵ月のあいだ会を揺るがし、初期〈幸福の科学〉最大の事件に発展していった。
 それは、会随一の求道者・阿南浩行に佐藤真知子と結婚せよ! と命じる神示だった。
 前にお話ししたように、阿南は一部上場企業の職を捨てて会に参加してきた、筋金入りの求道者である。大川にも負けないほど頭脳明噺で、最近の若者には珍しい落ち着きぶりでも際立っていた。
 情熱を燃やして学習に取り組む姿に、"さすがアーナンダの生まれ変わりだ"と感心したものである。そんな彼に思いを寄せる女性も少なくなかった。
 
 私は彼の鋭い洞察力を密かに恐れていた。修行の足りない私の心の実態が、阿南には手にとるように読めるのではないかと怖かったのである。そういう私とはまた違った意味で、大川隆法も彼を恐れているように見えた。
 たとえば、学習会の席で鋭い質問をぶつけるのはいつも阿南だった。会に入ってから勉強したのか以前から学んでいたのか、該博な知識から発せられる見事な質問に、私たちはしばしば舌を巻いた。
 
 大川が阿南を恐れていたとすれば、その知識だったろう。幹部だけの学習会でも、阿南の質問に答えられない場面が何度かあった。むろん、わからないなどとは口が裂けても言わない。正面から答えようとせず、冗談に紛らしてしまう。大川のいつものやり方だった。
 さすがに言葉にする者はいなかったが、誰もが"もしかしたら阿南のほうが、先生よりもよく知っているんじゃないか"と感じていたと思う。
 
 そんな阿南に、真知子と結婚せよという神示が下ったのである。
 いくら神託結婚と言っても、奇想天外な組み合わせだった。今までの神託結婚は、中原と私をはじめ、奇想天外というのではなかった。二人の当事者には、ある程度のつながりがあったからである。しかし阿南と真知子の場合は、つながりはないに等しい。互いに口をきいたことすらなかったのだ。
 マジメで学究肌の阿南と、まわりに子分を集めてキャーキャー騒いでいる真知子。この組み合わせに、彼らを知るすべての会員が仰天した。誰の目にも不釣り合いだった。個性とか性格といった単純なことではなく、住む世界がまるで違うという感じがした。
 
 今にして私はこの不自然さに、阿南を煙たく思う大川と、真知子を自分の配下に置こうとする大川夫人の意図を感じる。彼らの最も身近にいた人間としての、カンである。
 しかしこの神託が大きな事件に発展するまで、私たちはみんな、"神様もイキなことをする。我々の想像もつかないところで、チャンと組み合わせができているんだ。赤い糸というのは、こういうことかな"などと、のんきなことを言い合っていたのである。阿南がどんなに苦しんでいるかも知らずに……。
 
 大川は阿南を呼んで、ちょっと話があると言ったらしい。後日、阿南本人から聞いたところを、そのまま書いてみよう。
 ── 指定の場所へ行ってみると、大川夫妻と真知子が待っていた。席についた阿南の前に、大川がカレンダーを広げた。
「この日です」 と大川は、カレンダーを指した。 「私が自転車を走らせて、阿南さんのために、この日に式場の予約をしてきました」
 阿南が混乱していると、おもむろにこう言ったのである。
「ここにいる佐藤真知子さんと結婚式を挙げていただきます」
 
 あっけにとられて、阿南はしばらく返事ができなかった。中原と私のケースで一度成功していたから、大川には勝算があったのだろう。自信たっぷりだったという。あのときの中原もそうだったが、真知子のほうはすでに言い含められていた。
 しかし私とは違い、阿南は簡単には言いなりになる男ではなかった。難色を示すと、大川は怒りを爆発させた。恭子、真知子の前で、彼を徹底的に侮辱したという。
「あなたは何もわかっていないんだ。だいたいにおいて子どもすぎる。社会的にもっと飛躍しないと、神理を学んでも何にもならない!」
 
 この怒りはその後しばらくつづき、阿南のいない場所でもときどき噴き上げてきた。私がクルマで送迎するときも、後ろのシートでは阿南に対する攻撃が延々とつづいた。
 大川という人は、そこにいない人の悪口を言うのを好むタイプの人間である。会議の席や、昼食のとき、あるいはクルマの中で、どれほど幹部連中の悪口を聞かされたかわからない。能力のあるなしから始まり、ときには人間的な弱点まであげつらった。
 その性癖が、阿南事件ではますますエスカレートした。聞いている私のほうが憂鬱になるほどコキおろしてみせた。
 
 阿南の悩みは深刻だった。
 数日後の朝、私の机の上に一通の封書が置かれていた。阿南からの相談の手紙だった。そこには、「結婚のことで悩んでいる」とあった。 じっくり考えてみたけれど、真知子とはどうしても合いそうにない。しかし神のお告げと信じきっている彼女には、自分の考えが伝わらない。どうしたらいいだろうか、ということだった。
 あの頃の会は、「あの人にも神託があったんだって。羨ましいわね」 「私も早く神託がほしいわ」 という感じの雰囲気が支配的だった。それでうかつにも、私たちは阿南がそんなに苦しんでいるとは気づかなかったのである。
 
 さっそく真知子と会うことにした。西荻窪の駅ビルの六階にある中華料理店へ、彼女を昼食に誘った。
「真知子さんは、阿南さんが好きなの?」
「とても素晴らしい方と、心から尊敬申し上げています」
 まず彼女の気持ちを聞いてみるつもりだった。しかし会話したこともない阿南に対して、彼女も特別な感情は持てないでいるらしい。
「私と中原さんの神託があったときはビックリした。でも、ずっと前から仲良しだったからね。けれど、あなたたちはどうかな。私には、二人には接点みたいなものがないように見えます。もしお互いに引き合うものがなかったら、ムリに結婚しなくてもいいと思いますよ」
「阿南さんを尊敬し、お慕いしています。それに、先生のお言葉ですから、きっと幸せになれると信じておりますわ」
 彼女はキッパリと言い切った。
 
 好き嫌いより信仰のほうが大切だと言いたげな、これも一途な真知子であった。
 阿南も、ある程度の覚悟を固めたのだろうか。暮れも押し詰まった頃、真知子の実家へ電話を入れている。こんな思いがけないことになったが、まずは自分を知っていただきたい、ということのようだった。真知子の家族は一家をあげて〈幸福の科学〉の会員だったから、異議のあろうはずもなかった。
 
 
 愛なき断罪と追放の実態
 
 事態は進捗しないまま、あの忘年会の夜がやってきた。
 五〇人ほどの職員を研修場の二階に集め、ビールやつまみをならべて、一年の労をねぎらうささやかな宴会が開かれた。その席で総務局長の私から、阿南と真知子の神託結婚を発表したが、発表するまでもなくもう全員が知っていた。
 底抜けの明るさで人気のあった真知子が結婚することに、ガッカリしている男性も少なくなかった。彼女は嬉しそうに見えた。阿南のほうは、彼女から離れた席で固い表情を崩さずに座っていた。
 
 神託結婚の報告でワッと盛りあがって始まった忘年会だったが、じきに重苦しい雰囲気に変わっていった。真知子が声をあげて泣きだしたのである。
 トラブルが生じたときの常で、私が何か言いだすしかなかった。
「おい、みんな。今こそ、神理を打ち建てる大事なときだ。我々の人生には、これからもいろんなことがあるだろう。みんな〈光の天使〉なんだ。大きな心で、花も嵐も踏み越えて生きていこうじゃないか」
 最後のほうは、自分自身に言い聞かせているかのような気持ちになった。
 
 正月を迎えるために、阿南は関西の実家へ帰っていった。真知子のことも両親に伝えなければならない。しかし神託結婚の話をすると、狂人あつかいされたという。そう、それが常識ある人間なのだ。〈幸福の科学〉という狭い世界の中で、その常識を私たちが忘れかけていたということなのだ。
 
〈幸福の科学〉は"偉大なる常識人"を理念の一つとして掲げている。
 しかし"偉大なる常識人"をいくら説いても、それで常識人になれるわけではない。健全な常識は、職場や家庭で懸命に自分のつとめを果たし、人と人が互いを思いやり、支え合うような、ありふれた生活の中に存在するのである。
 ついでに言い添えておくと、"偉大なる常識人"の概念は、大川に提出したレポートの中で私がはじめて提唱したものである。それが、いつの間にか会のモットーとして定着してしまった。
 
 明けて一九八九年一月。年末年始の一〇日間の休暇を、家族という常識世界に触れてすごした阿南は、心を固めて東京へ戻ってきたようだ。彼は大川に、この話はなかったことにしてほしいと訴えた。
 大川のワンマン体制下では、その意向に逆らえば、会から追放されても文句は言えなかった。よほど勇気が要ったに違いない。なにしろ仏陀の指示を拒むのである。
 阿南浩行は自分の心に正直にしたがった。たとえ、全知全能の神の命令でも、自分がおかしいと感じたら、やはりおかしいのではないか。彼は自らの行動で、そのことを私たちに問いかけたのである。けれど、私たちはまだ自分の"浅はかな考え"よりも、大川の霊言を信じていた。
「神は自分の心の中にある」 と高橋信次は繰り返し説いた。そういう心の中の神を、真っ直ぐに見つめることのできた人間から、順番に会を去っていった。
 
「明日から出社におよばずだ! もう出てくる必要はない!」
 大川の憤慨は、私たちもはじめて見るほど激しいものだった。
「佐藤家を訪問したというのは、すでに承諾したと同じではないか。相手に正式に結婚の申し込みをしたということだ。今さら断れない!」
 六大神通力を持つはずの主宰先生が、怒りのためにその能力に曇りが生じたのか、すでに阿南は真知子の実家へ挨拶にいったものと勝手に思い込んでいた。
「神託結婚を承諾できないのは、高級霊からの霊言が信じられないということだ。これだけの本(当時は六〇冊)を認めないと言っているんだ。信仰心がなってない!」
「自惚れている。大したこともできないくせに!」
 
 局長会議が頻繁に開かれた。そのたびに、私たちは、主宰先生の"不調和な言魂の響き"を耳にしなければならなかった。
 大川から各局長あてに 「綱紀粛正」なる通達が出されたのは、一月七日のことである。
 
 
  悲しくそれぞれの道へ別れて
 
 道を求める真剣さにおいて、中原幸枝と阿南浩行は初期〈幸福の科学〉の双壁だったと言える。阿南事件が中原にもたらした衝撃は非常に大きかった。二人が仲よしだったからだけではない。おそらく 中原の心の中で、大川に対する何かが崩れ去ってしまったのだ。疑い、不信が一気に噴き出してきた感じだった。
 一分の疑念を飼い馴らしながら活動していた私のような人間とは違い、中原は切ないぐらいに純粋だった。主宰先生のために死ねと言われたら、死にかねないほど一途に打ち込んでいた。その主宰先生には愛のかけらもない。あれほど愛を説きながら、どこにも愛の実践がない。神理というのは、口先だけのおしゃべりだったのか……。
 
 一つ屋根の下で彼女を見ていた私は、その絶望の深さを言いあらわす言葉を持たない。
「いや、何かある。後になって"ああ、あれはこういうことだったのか"と私たちが気づくような、何か深いお考えがあるに違いない。それを信じてみよう」
 ずっと大川信仰の浅い私が、そんなふうに彼女を励まさなければならなかった。
 設立準備の頃から超人的なパワーで働いてきた中原の、心と体を支えていたものがプツリと切れたようだった。それまで溜まっていた疲労がドッと襲ってきた。彼女は体の不調を口実に事務所へはあまり顔を見せなくなった。
 
 大川のほうも、中原に異変を感じとったのだろう。会の顧問か参与に昇格させるからと、慌てて言ってきた。地位を与えたり解いたりすることで、人の心までコントロールできると思い込んでいるのが大川主宰だった。どういうかたちで断ったかは知らないが、そんなものに魅力を感じる彼女ではなかった。
 二月頃からは、もうほとんど出て来なかったのではないだろうか。
 そのまま中原は会を去った。こうして大川は最大の協力者、会の土台を築いた第一の功労者を失った。同時に、最も真剣に神理を求めた、一番純粋な 〈光の天使〉を見失ったのである。そして、私たち「夫婦」は、話し合って仲良く 離婚した。
 まるでブレーキが利かなくなったように、〈幸福の科学〉はこの年から露骨な拡張路線をひた走っていくことになる。
 
 中原にくらべると、私はずっとしぶとかった。
 阿南の処分にどうしても納得できなかった私は大川に直訴した。              「高い次元から見ている主宰には、いろんなことがおわかりでしょう」
 高次元にいる自分の考えなどお前たちにわかるはずがない、というのが大川のログセだった。だから言う通りにせよ、というのが主宰の論法なのだが、そこを逆手にとるしかないと私は考えた。正攻法で攻めても、いつものように「霊が言ってるんだ」で煙にまかれてしまうのは目に見えている。
「阿南を呼びつけて、低次元の人間にもわかるように、どうか諭してやってください。先生にしかわからないことが、いっぱいあるんですから」
 
 大川は不機嫌にむっつりと押し黙っていた。せっかくの戦法も、これでは役立たない。その後も、この話題になると大川は急に不機嫌になり、胸襟を開こうとはしなかった。
 二月二日に、事務局から〈阿南元講師に対する当会の基本的考え方〉という配付文書の原案がまわってきた。
 見ると、次のような五つの項目が挙げられていた。
 
 1、基本的視点
 2、講師像の認識不足
 3、問題認識の欠如
 4、高級心霊に関する批判的態度
 5、社会的常識の欠如
 
 それぞれの欄に、阿南に対する批判がビッシリと書き込まれていた。                  
 "もう阿南が去っていくのはしかたないな"
 もはや私には何もできない。
 "いろんな問題があったとしても、このブッタサンガー(布教団体)に代わるものはないのだ。一時的に阿南が離れるのだと考えればいい。それも、彼にとって何かの意義があるだろう。阿南には悪いが、そう信じよう"
 しかし、これほどの苦しみを背負って去っていく者に、こんな悪口だけを並べてハイさよなら、というのではあまりではないか。それだけは絶対に許してはならない。そう考えた私は、次のような文章を最後に追加させた。
 
 ── 以上の如く、当会の発展途上の現機構には即さない為に本部を退職しましたが、法を学ぶ熱意、その他優れた点も多く持っており、本部としては暖かく見守っております。
 
 配付文書では、わずか三行。それを加えさせるのが、私にできる精一杯のことだった。せっかく 神示をいただきながら従おうとしないこのアーナンダに、職員全体が批判の目を向けていたのである。
 去っていく 阿南のために、中原と私、そして彼を兄弟子として慕っていた伊藤博樹で別れのテーブルを囲むことにした。私は残務があり欠席したが、食卓に料理が並ぶ前に、昨日まで尊敬してやまなかった兄弟子を、伊藤が口汚く罵り始めたという。
 中原もただあっけにとられた。
 
「目ン玉をくり抜いてやろうか」
 そんな暴言まで飛び出した。思いがけない成り行きに、阿南はジッと耐えるふうだった。しみじみと語り合いながら別れを惜しみたいというささやかな願いはかなえられなかった。料理が運ばれてきたが、誰も手をつけずに外へ出たのだった。
 私は、この話を中原と阿南に後で聞いた。悲しかった。無性に悲しかった。私たちは一生懸命になって、いったい何を造りあげてしまったのだろう。ともに同じ道を歩いてきた。同じ理想を目指し、ともに学んできた。その仲間が、なぜこんな憎しみを抱き合うようになるのか。
 
 しかし歴史には、そんな例がたくさんある。愛を求め、平和を求め、ユートピアを求めた者同志が、何を師とするかによって、最も激しく憎み合ってきたのである。
 街の灯は、それぞれの心の中の苦しみなど知らぬ顔で、コートにくるまった三つの体を冷たく照らしていたに違いない。同じ道をきた三人が、いま別々の道へ歩み去ろうとしている。伊藤も阿南も、中原も。そして私もまたもう一つの道を歩まねばならない。
 
 
  建前だけの 「与える愛」
 
 阿南は去った。事件は会を大きく揺るがし、会員を動揺させた。なかでも古い会員が受けたショックは小さなものではなかった。二年後のフライデー事件とともに、良識ある会員の心を〈幸福の科学〉から遠ざけることになったできごとだった。
 しかし会は、何事もなかったかのように活動をつづけた。
 この年の会の課題の一つは、本部講師の知的レベルのアップだった。私を含めて六人いた本部講師が、大川隆法じきじきの特訓を受けることになった。毎週木曜日に研修ホールでおこなっているセミナーの後で、本部講師は質問を提出することというお達しが出ていた。
 
 質問の内容で講師としての力量が問われる。講師同士がライバル意識を燃やし、今まで以上に真剣に講義に耳を傾けた。翌朝一番で、大川に質問状を提出するのである。一日おいて、大川からの答えがワープロ打ちされて返される。六人全員の質疑応答集として戻ってくることになっていた。こういう面では、主宰先生は労を惜しまない努力家だった。このQ&Aは順調に進み、何週間かするとかなりのファイルがたまった。
 
 二月のある週に、 『イエス・キリストの霊言集』 が講義で取りあげられた。霊言集の解説だったが、心に染みる愛の言葉が大川の口からは次々と気持ちよく語られた。
 その夜、私は一行も書き出せないまま、レポート用紙の前に座りつづけた。大きな疑問があった。阿南事件の残り火が心にまだくすぶっていた私は、大川の素晴らしい愛の講義のあいだも、その疑問をどうしても消せずにいた。それを押し隠したまま、あたりさわりのない質問をすることはできない。
 
 "この質問状で、阿南の処分に対する疑問を率直に投げかけてみよう"
 ようやく腹をくくったときは、すでに夜が明けかかっていた。
 しかしそれは、大川に対する重大な挑戦を意味していた。ハッキリと反旗をひるがえしたことになる。これまで最も身近な弟子として、常に私は主宰先生の傍らにいた。会員なら羨まない人はいない、垂涎の的とも言えるポジション。このまま黙ってついていけば、その座は安泰である。損得だけを考えたら、百人が百人ともおとなしくしているだろう。
 けれど、私の正義感が、求道心がもはやそれを許さなかった。
 
 "世俗的な望みを捨ててきたはずじゃないか。あれだけの犠牲を払い選びとった道を行くのに、いまさら何を恐れるんだ。即刻クビというなら、それもいい。これをきっかけに大川先生に、ホンモノの大如来として、大きな愛の輝きを持っていただくことのほうが大切ではないのか"
 一方には、不安もあった。もしかしたら、今度のことは私には理解できない愛の表現なのではないか。冷血を装って私たちをハラハラさせてから、すぐ後でウーンと唸らせるような ドンデン返しが用意されていたら、どうしよう……。
 "大恥をかくことになるが、こんな嬉しい恥はない。大いに笑われてやろう"
 私は〈幸福の科学〉の愛の神髄を確かめるべく、思い切って筆を握った。
 
   〈質問〉 迷える小羊の扱いについて
 イエス様の愛の表現の仕方としては、九九匹の羊を待たしても一匹の迷える小羊を探し出して連れて行くというふうに聞いております。私の考えでは、今回神託結婚を拒否したAさんが迷える小羊に見えるので、先生には一対一でよく諭して欲しいとお願いしたのですが実現しませんでした。
 会が急速に伸びなければならない時期という点はわかりますが、先生とイエス様の「愛の表現の違い」 をわかりやすくご指導ください。
 
   〈答え〉
 問題の本質が十分に見えていないようです。総務の仕事は火消し役です。火種に油を注いではなりません。知恵なき愛は人を我が儘にさせ、増長させ、そしてついに堕落させます。A氏の問題でなく、自分の問題として考えてください。過去自分の意図に反して人が行動した際に、それがなぜであるか考えてみてください。
 結婚の現象は、幸福の科学の指導霊団が今回の仕事の実証として計画しているものです。そしてこの現象を妨害して、霊言の信憑性をぐらつかせようとしているルシファーたちの計画があります。幹部たるもの職員たるもの、こちらに加担してはならないのは当然のことです。指導霊団の怒りの真意を看破してください。
 それともう一つは、こうした団体に集う人は、自分の日常生活的な問題や、身体的な問題まで、精神的なもの、霊的なものにスリかえる傾向があります。
 形而上と形而下と峻別する必要があります。             ── 以上 ──
 
 ?── この人は何を語っているのだろう。これでは、私の質問に何も答えていないのと同じではないか。おまえたちは何も考えず与えられた仕事だけをしていろ、ということなのか。それではヒットラーやスターリンと少しも違わない。そのうえご丁寧にも、「日常生活的な問題や身体的問題を、精神的霊的問題とスリかえるな」と、体の不調を口実に出勤拒否している中原にまで牽制球を投げている。
 
 どこにも愛はなかった。思いやりも優しさも、仲間を護る暖かさも勇気も、何一つ見出すことができなかった。
 これでも高次元の愛だと言うなら、一〇〇パーセント庇理屈である。昨日までの仲間が悩み、迷っているのだ。光を求め、道を探っているのだ。職を捨てて霊性時代の樹立のためにはせ参じた私たちの同志が、いま迷っているのである。こんなときに、愛の手を差しのべないで、いつ愛をおこなうのか。自分の言うことを聞かないからとサッサと切り捨ててしまう。そんな釈迦如来がいるだろうか?
 
 "与える愛" は建前だけ、理論として口で唱えるだけだったのか。
 そんな宗教団体なら、今までにも腐るほどたくさんあった。理論だけ、おしゃべりだけなんてクソにもならん。私たちが夢見たものは、そんなものではなかったはずだ。
 怒りを通り越して、落胆した。必死に支えてきた心の奥の何かが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちるのが聞こえてくるようだった。
 "やっぱり、本物のお釈迦さまではなかったのか……"
 寒かった。心が寒くてならなかった。
 
 
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宗教団体「幸福の科学」に約二十年間在籍していた元信者です。幸福の科学が信者に見ないように指導している内部告発、退会者からの情報や意見を、現信者である親友Kさんのための参考資料としてまとめていこうと思っています。

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