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<このブログは宗教団体「幸福の科学」の様々な内部告発や退会者の方々の情報をまとめ現信者の親友Kさんに参考にしてもらうためのものです>
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獏 論 [幸福の科学アラカルト]より『虚業教団』(関谷晧元著)を全文掲載します。

※本文掲載につきましては著作者である関谷晧元氏ご本人より許可を頂いております。
 また本書籍をWEB上で閲覧可能にして下さった獏論氏のご尽力に心よりの感謝を申し上げます。
 
「『虚業教団』〈幸福の科学〉で学んだものは何だったのか」関谷晧元著(現代書林)
 
 第2章  「神」は結婚を命じ給うのか?
 
  〈幸福の科学〉にもあった神託結婚
 
 女優の桜田淳子や、スポーツタレントの山崎浩子らが参加し、マスコミの注目を浴びた統一教会(世界統一神霊教会)の合同結婚式。何千人もの男女が集まり、教祖の祝福を受けるあの式に、世間があんなに激しい反発を示したのはなぜだろう。愛情と尊敬で結ばれるべき生涯の伴侶が、教祖の指示一つで決められる。そこに不自然なもの、人間の尊厳を否定するものがあるのを、多くの人が感じたからに違いない。
 
 統一教会のそれと似たものが、じつは 〈幸福の科学〉 にもあったと言えば、驚く人が多いだろう。新しい会員は 「まさか」 と思うかもしれない。しかし何組かの男女が、大川隆法の 「これは高級霊からの指示である」 という言葉によって、結婚させられたのは紛れもない事実である。
 古参幹部を除くと、会員にもほとんど知られていない "神託結婚" の実態を、ここでお話ししてみたいと思う。
 忘れもしない、一九八七年十二月のことである。
 
〈幸福の科学〉 の二年目にあたるその年は、非常に有意義な一年だった。後援会とセミナーが各地で開かれ、会員も増えた。前年の十月に中原の自宅を改築して開いた六畳の事務所がもう手狭になり、五月には荻窪松庵三丁目にある新築ビルの地下へ移転している。広さはそれまでの六倍。ボランティアの会員も、活躍の場所をやっと得て大喜びで働いていた。
 ついでながら、移転に要した敷金五〇〇万円は中原に頼まれて私が用立てた。誤解のないよう言っておくと、この五〇〇万円は後に全額返済してもらっている。こういう面では、大川はきっちりケジメをつける人だった。
 
 その年も終わりに近づいた十二月二十六日。
 この日はちょうど、中原幸枝のヨガ教室主催による四週間瞑想セミナーの最終日にあたっていた。最後を飾るべく 中原は、特別講師に大川隆法を招いた。このことからも、初期の 〈幸福の科学〉 が中原のヨガ教室と半ば一体だったことがわかる。
「セミナーの終わりに、直接大川先生のご指導がいただけるみなさまは、ほんとうに幸せです。みなさまは、人生のクリスマス・プレゼントを今夜いただけるのです」 [写真56] 
 中原から開会の挨拶を促された私は、参加者を前にそんな話をした。人生のプレゼント。いま思い出すと忸怩たるものがある。
 
 この夜は大川の誘導で、自分が金の仏像になり体から金色の光を放つところをイメージしたり、体から意識を抜いて拡大させる瞑想などをおこなったと記憶している。当時の〈幸福の科学〉は、中原の影響もあってか瞑想が大きなウェートを占めていた。
 大川の講演中、彼女と私はいつものように特別席に並んで腰かけていた。その日にかぎって、中原が妙に私を意識しているらしいのが気になった。今までは、一度もそんなことはなかった。互いに異性を意識せず、兄と妹のように仲良くやってきた二人である。
 
 "きょうの中原は少しヘンだな。何かあったのだろうか"
 何があったかは、セミナー終了後に明らかになった。
「今日は私からちょっとお話がありますから、一緒に食事しましょう。吉祥寺に場所を 予約してあります」
 セミナーが終わって、声をかけてきたのは大川だった。
「双葉」 という古い料亭へ案内された。大川と私、そして中原の三人である。部屋に通された私たちは、料理をいただきながら、今日のセミナーのできばえや、瞑想の反応状態について話し合った。そこまでは、いつもと何ら変わったものはなかった。
 
 途中で、急に大川が話題を変えた。
「関谷さん、じつは私、結婚することにしたんです」
 意外な話に、私はびっくりした。崩していた膝を思わず直してお祝いを言った。
「イヤ、それはそれは。ほんとうにおめでとうございます。会の流れからしても、今が一番いいときだと思います。これで、会もしっかり根をおろします。ほんとうに、よかった。でも、お相手は誰なんでしょう。私には見当もつきませんが」
「アハハ。誰だと思いますか」
 
 私は一瞬、中原ではないのかと思った。彼女の名誉のために言っておかなくてはならないが、二人が特別な関係だったということではない。大川のまわりには、とにかく女っ気がなかった。結婚に対する憧れをしばしばほのめかした主宰先生だが、それらしき女性は見あたらない。縁談があるとも聞いていない。その場にいた中原を、とっさに思っただけのことである。
 
「関谷さんは、たぶん知りませんよ。あの方はボランティアですから」
 返答に困っている私に、中原が助け船を出してくれた。
「じつは木村恭子さんという会員です。これは、神示が下っての神託結婚なのです」
 名前を聞いても、私には顔も浮かばなかった。それより私には、"神託結婚" という耳慣れない言葉が異様に響いた。大川先生ほどの人になると、やはり結婚にも高級霊からの指導があるのか……。
「もうすぐ東大を卒業される、素晴らしく優秀なお嬢さんですよ」
 それが現在、主宰夫人となっている大川恭子のことを聞いた最初である。
 
 彼女の登場で、〈幸福の科学〉 はまた一つ大きな転機を迎えることになる。しかしそれが会を変貌させ、空虚なものにしていくことになろうとは、中原や私はもとより、大川自身も知らなかったことである。
 だが、「双葉」 での話はこれだけでは終わらなかった。
 
 
  天上界が計画した? 二つの結婚
 
 「それでこの際、関谷さんにも結婚していただくことになりました」
 まるで事務処理を指示するような調子で、大川隆法が言った。
 思わず自分の耳を疑った。大川が結婚するのはいい。相手が誰でも、先生と呼ぶ人の結婚を、私は心から祝福するだろう。しかし、なぜ私が……。妻と五年間も別居しているとはいえ、まだ夫婦である。その私に結婚せよという大川の言葉は冗談としか思えなかった。
 不思議なことに、大川とあれほど身近に接していながら、大川との個人的な会話はあまり私の記憶に残っていない。人の心に感動を呼び起こすもの、鮮烈な印象を残すものが少なかったように思う。しかし、このときの話はさすがに今でもハッキリと覚えている。記憶に従って、できるだけ忠実に再現してみよう。
 
「先生、何をおっしゃいます。第一、私には相手がいませんし、そんな段階ではありません」
「いや、それがちゃんと決まったんです。天上界の(高橋)信次先生からの通信です。これはもう、明日入籍していただきます。お正月には新婚旅行に行っていただくことになっています」
「ハハハ……。なんだ、冗談ですか。先生も悪趣味ですね。でも、先生が結婚されるのははんとうでしょうね」
「とんでもない。これは神託結婚です。天上界の計画通りにしていただきます」
 
 言うべき言葉が見つからなかった。
「関谷さんのお相手は、もう決まっているんです」
「どんなふうに決定しているんですか。どこにそんな人がいるんですか」
「はい、ここにいますよ。ほら!」
 大川のこの声を待っていたように、中原幸枝がパッと畳に手をついた。
「関谷さん、よろしくお願いします」
「エッ! アレ! …… そ、そりゃぁない……」
 
 このように書けば、一場の喜劇でしかない。ドタバタ喜劇のおかしさは、人間の尊厳というものを踏みにじるところに生まれる。だからピエロたちの演技はどこか悲しい。
「よろしくお願いします」 と手をついた中原の心中はどうだったろう。世俗的な幸せを捨て、ひたすら道を求めてきた中原の生き方は、このとき完膚なきまでに踏みにじられたのではなかったか。彼女はどんな気持ちで、私に手をついたのだろう。その気持ちを、私はいまだに聞きえずにいる。
 
 しかし大川に心酔していた中原は、私との結婚について、一分の疑念も持っていないようだった。
 大川は私の説得にかかった。思いどおり事が運ばないときは、相手を押さえつけるような、威圧的な口調になるのが彼の流儀だった。
「関谷さんは二度目の結婚になります。あまり自分勝手は許されません。それに中原さんは、過去に何度も転生しながら、一度も結婚したことがない。今回始めて神示により、関谷さんと結婚することになりました」
「……」
「私たちは何度生まれ変わっても、今ほど重大な時代に生まれることはできません。神のご意志に従ってください。私たちはみんな、自分の使命を果たさなければなりません」
 
 神の意志、使命。それを言われると、私には抗弁のしようがなかった。
「この幸福の科学は、今、そのための基礎造りの段階です。私も神のご意志に従って、よく知らない人と結婚します。この際、関谷さんも己を捨てて、会の土台造りに身をあずけていただけませんか。……それとも、中原さんではダメですか。中原さんは昨日一秒でO・Kを出したんですョ」
 私はそういう目で中原を見たことはなかったが、一般的な見方をすれば、彼女はたぶんとても品のある美人である。妹のような存在としか思ったことはないけれど、どうして中原でダメなことがあるだろう。
 
 "だが" と私は思った。 "精神世界の探究に身を捧げている尼さんのような彼女が、本気で私などを受け入れるはずがない"
 そう思って中原を見ると、彼女はこちらを向いて正座し、両手を膝に置いたまま私の返事を待っている。その表情には何の不安もなく、私から 「OK」 の返事が当然くるものと確信しているらしい。
 このとき、私の脳裏に走ったのは、セックスなき不自然なカップルだった。私を含めて男とセックスなどできる中原とは、到底思えなかった。としたら、聖職者同士の夫婦生活である。この私にそんな生活が可能だろうか。まだ残している問題もあるし……。さまざまな思いがわいてきて、頭が混乱してしまった。
 
 "ええい、ままよ。人生は所詮ドラマじゃないか" と、私は心の中でつぶやいた。"天上界の信次先生のご指示だというなら、それもよし。私もそろそろ、そんな禁欲生活に入っていい頃かもしれない。そのために、今までの恵まれた生活があったんだろう"
 もう一度中原に目をやった。即座の返事を求めるように真っ直ぐに私を見ている。
「よろしく、お願いします」
 ひとりでに口から出ていた。中原と私は、両手をついて頭を下げあった。
 
 それを受けて大川がしゃべった言葉を、私は今もハッキリ思い出すことができる。
「よかった。何しろ、神理を説くトップの私だけの結婚となると、会員からいろんなことを言われそうで、困っていたんですよ。しかし、中原さんと関谷さんが結婚するとなれば、意外性ということで話題になり、私のほうの話は半減されて助かります」
 いまなら、中原と私の結婚を煙幕にするつもりなのかと言うこともできる。だが、そのときは "おかしなことを言うな" と感じただけだった。それも、心の片隅で。
 
 統一教会の合同結婚式の後、親族やキリスト教関係者に説得されて結婚を破棄した山崎浩子が、記者会見で 「マインド・コントロール」 という言葉を使った。
 宗教団体という特殊な世界にいると、正常な判断力が麻痺する。神との仲介者である教祖が、信者の心をいとも簡単に支配してしまう。そんな状態を 「マインド・コントロール」と、彼女は呼んだのだろう。
 しかし支配される心は、支配されることを望んでいるのである。自分のすべてを理解し、行くべき道を指し示してくれる存在を心の底で求めている。中原や私にも、その思いがなかったとは言えない。
 
「お互いの仲人をやりませんか。それで、どちらも貸し借りなしのオアイコということにしましょう」
 私の都合などまるで無視して、嬉しそうに大川が言った。
 しかし、私にはまだ妻がいる。離婚は話し合いがついていたが、高校生の娘が大学受験を終えるまでは、籍だけでもこのままにしておこうという話になっていた。いまではそれが、身勝手な父親である私が娘にしてやれるたった一つのことだった。
 このことを話すと、大川は驚いた顔をした。
「エッ、まだ籍が抜けてなかったんですか。それは知らなかった」
いつも、私たちのすべてを見通しているようなことを言っている大川が、こんな重大なことを見落としていたとは。                                         
「あと二ヵ月で娘の入試が終わります。それまで、このままではいけませんか」
「いや。私のことも、もう発表してしまわなければならないし、それは困るよ。何とかなるでしょう、関谷さん」
 いまや、大川と私は師弟の関係にある。まして、その師は天上の世界から直接指導されているのだ。人間の浅知恵では計り知れない大計画が、こうして一歩ずつ実現されようとしているのかもしれない、と私は考えた。私もまた、「マインド・コントロール」によって正常な判断力を失っていたのである。
 その場は、「すぐにでも妻と話し合ってみます」 ということでお開きになった。
 
 家に帰っても心が落ちつかなかった。独り暮らしのマンションで、何時間も自問自答を繰り返した。
 まず、大川主宰がご自分の結婚の話題を半減させたいという、その心理はいったい何だろうと考えた。
 "そういえば、若い女性とのデートすら、先生は一度も経験したことがないと聞いたことがある。そんなことからくる、先生特有のテレなのだろうか"
 
 "それにしても、私と妻との現状を、まったく霊視できなかったのだろうか。この結婚は、中原と私の一生を左右する重大事である。すべてを見通したうえでのお話しではなかったのか″
 "もしかしたら大川先生は、じつは異次元など何も見えない、頭のいいだけの人間なのだろうか。自分の都合だけを優先させ、他を思いやる愛のない人なのだろうか"
 そうした考えに行き着くたびに、私は何度も首を振った。
 "いや、いや。そんなことは絶対にない"
 この夜、私の頭は混乱し、ハッキリした結論はついに見出せなかった。
 
 
  神を信じるのか、大川隆法を信じるのか
 
 私は常々、自分は 〈幸福の科学〉 という小舟が、大型船となって大海へ乗り出すまでの臨時の乗組員に徹すべきだと考えていた。
 大きな船になり、本格的に大海原を走りだしたら、もっと優秀な、若くて元気な人たちが帆を上げ、舵を握るだろう。そのときまでの縁の下の力持ち。私にはそれが相応しい。次のクルーに胸を張って船をあずけられるよう、指導グループの一員としてこの舟を守っていこうと決めていた。
 "そのためにも、いまは大川先生の言葉を信じよう"
 そんなふうに私は自分を説得した。
 "こんな私にも、大きな使命があると言われるのだ。何を迷うことがある。命懸けで、自分の使命を果していこう"
 
 一日も早く離婚手続きをすませ、先生との同時結婚式を挙げなければならない、と私は観念した。急流を下る小舟の揺れは大きい。私の心も大揺れに揺れた後、大川隆法を信じ切るほうへ落ちついていった。
 このときから大きな不幸が始まった。
 信じれば信じるほど苦しみが増した。
 本源の絶対神を信じたつもりでいた。だが実際は、大川隆法という人物を信じようとしていたのだ。妄信狂信に走ったと非難されてもしかたないだろう。
 世の中には、残念なことに、信仰ゆえに陥る不幸というものがたくさんある。それらはすべて、信じる対象を取り違えたところから起きてくるもののように、私には思えるのである。
 
 このことは、合同結婚式で有名になった統一教会にもあてはまるだろう。世界の宗教を統一するという原理思想は確かに素晴らしい。しかし信者たちは、その思想より、それを語る文鮮明を信じ、文鮮明という人物に我が身をあずけ、ついには合同結婚式という非人間的なものにも平気で自分を従わせてしまったのではないか。
 私たちの 〈幸福の科学〉 も、この悲劇と無縁ではなかった。
 
 信者同志の結婚は、教団組織を固めていくうえで、まことに便利な方法である。後でも触れることになるが、私の知るかぎり当時の 〈幸福の科学〉 では、五つか六つの神託結婚が大川によって命じられた。それをきっかけに会を離れていった者もいる。結婚はしたものの長続きせず、互いに深い傷を負って別れた夫婦もある。今日まで続いているのは一組にすぎない。その一組も、それまでのカップルを強引に引き裂き、別の相手と結びつけたものだったから一騒動持ち上がっている。
 
 誰の心にも大きな傷を残した。どのケースも 〈幸福〉 とはかけ離れたものだった。
 ほんとうに天が望むなら大川が何をしなくても、いずれは結ばれたに違いない。なぜ大川は、"神託" などという言葉を持ち出し、そこに不自然な手を加えようとしたのか。言うまでもなく、会の組織づくりのためである。
 
 ここで、当時の中原幸枝と私が、会に占めていた位置を考えてみよう。
 すでに述べたように、中原は初期〈幸福の科学〉の物心両面での最大の支柱であった。彼女なくして〈幸福の科学〉は存在しなかった、と言っても過言ではない。
 いっぽう私は、大川の目には会の経済的な支援者と映っていた。彼の『幸福の科学入門』 という本の中で、私は大黒天の一人として紹介されている。
 
 釈迦が教えを説き始めたとき、土地の長老が精舎(僧院)を寄進し、物質面から僧侶集団を支えた。法が説かれるところには必ずそういう経済的支援者が現れる。それが大黒天であり、〈幸福の科学〉 には三人の大黒天がいると大川は書いている。
 第一の大黒天が私。第二は秋山行男。第三は高橋守人だった。
 この三人の大黒天は、現在一人も会に残っていない。機関紙や『高橋信次霊訓集』の発行に尽力した高橋は、パージ同然のかたちで会を去った。秋山のほうは、新事務所への移転に際し、OA機器やデスクをはじめ一切の什器類を寄贈してくれた会員である。その後大川があまりに彼を持ち上げたため、「まだしばり取られるのか」 と気味悪がって退めていった。
 
 新しい会員を集めるのもいい。しかし草創期に、おのれの何がしかを犠牲にして活動に打ち込んだ大黒天たちがなぜ去っていかなければならなかったのか。それを反省することなしに、会のほんとうの発展はありえないだろう。
 精神的支柱であった中原と、物質的支援者である私。この二人を組み合わせようとしたところに、したたかな計算を見るのは私の邪見だろうか。しかしそうでもなければ、まだ離婚も整わない私と、結婚などまるで眼中にない中原を、誰が強引に結びつけたりするだろう。
"二人が夫婦として尽くしてくれたら、会にとってこれ以上ない強力な武器だ"
 と考えて、まるで将棋の駒を動かすように、私たちに神託結婚を命じたのだろうか。
 その判断は読者に委ねるしかない。
 
 
  〈幸福の科学〉 は幸せを科学したか?
 
 やむなく私は妻との離婚話を急いだ。しばらく遠のいていた我が家へ重い足を向けた。次女の合格までは形だけでも夫婦でいようと決めながら、「一日も早く」と迫る夫を、父を、妻や娘たちは何と思っただろう。
 予想したことだが、妻は私の要求に態度を硬化させた。
「なぜ、そんなに急ぐの。急に除籍しろなんておかしいわ」
 しかし私は、神様の指示で中原と結婚することになったとは、どうしても言えなかった。仮に言ったとしても、信じてもらえたかどうか。
「こんなに急に無理を言われるなら、貰うものは思いっきり貰ってやるから。そうじゃなければ、絶対に離婚には同意しない!」
 妻はいきり立ち、叫びつづけた。冬だというのに汗をかき、その後頭部からは赤い炎がポッポッと燃えているのが見える気がした。
 
 あのときの妻はじつは菩薩ではなかったか、と思うときがある。菩薩という愛の仏は、ときには恐ろしい憤怒の顔をした不動明王の姿をとって現れ、手にした縄で人を縛り、剣で切り刻んでまで、その魂を救済するという。人の道に外れてはならぬと、妻は私に訴えていたのである。
 
 しかし悲しいかな、当時の私は、神の心が通じない愚かな女としか見なかった。
 こんなふうに私と妻が醜くケンカしている家の二階では、高校三年の次女が、間近に迫った大学入試のために捩り鉢巻で勉強していた。新築間もない日本家屋だったが、両親の口論は筒抜けだったに違いない。たぶん勉強も手につかなかっただろう。
 どんな気持ちで机に向かっていたかと思うと、今でも胸が痛む。これは中原も同じだったらしい。後々の結婚生活の中でも 「娘さんに申しわけない」 というのが彼女のログセだった。
 
 娘のことを考え、早々に切り上げて会社へ戻った。苦しかった。苦し紛れに、私は思わず中原に電話した。
「こんなことをさせる神様は間違っていないか。あまりにも無慈悲だ。あなたから大川先生に、あと二ヵ月だけ待ってくれるよう伝えてほしい」
 すると中原は、昨日大川に言われたという言葉を私に伝えた。                   「恭子さんの身にもなってみろ。彼女は両親の反対を押し切ってまで決意したんだ。早く会員に発表してもらいたいと心待ちにしている。関谷さんは、そのくらいのことが解決できないのか」
 そう責められて、中原も困っているということだった。
 
 大川はいつも中原を通して私と話をした。直接話そうにも、話せないように素早くお膳立てができてしまう。これは彼独特の、一種の処世術だった。
 この処世術は、会が現在のように巨大化してからも変わっていない。あのフライデー事件のときも、一人の事務局長を通して指令が下っていた。幹部こそいい災難である。指示を忠実に実行しようとして知恵を絞り、その結果がよければ、主宰の指導がよかったということになる。もし悪い結果が出たときは、末端会員の批判はその幹部に集まり、自分がツメ腹を切らされる。
 
 ご本人は奥にいて、滅多に顔を見せない。したがって、真実の姿は一般会員にはまったく見えない。そのほうが、確かに神秘的である。講演会の後の質疑応答でも、霊言を求められると、大川はよく 「安っぽくしたくないから」 と言って断っていた。霊言に安っぽいも高いもない。神秘というベールをまとうことが必要だったにすぎない。
 
 事実、最近の講演会では、そのベールの向こうの姿に向かって会員たちは喜んで感激の涙を流している。大川の写真がご本尊として拝まれる。大川という宗教的天才、いや組織づくりの天才の目論見が、計算どおり実現していると言ってもいいだろう。
 
 私たちの離婚話はこじれにこじれていた。
 妻は、世間で言うところの良妻賢母の典型だった。私の自慢である二人の娘を立派に育てたのは妻だと思えば、どんなに感謝してもし尽くせない。
 それにくらべ、私はどうだったろう。妻や子からすれば "得体の知れない宗教" に入れあげ、娘の入試直前に乗り込んできて、「一日も早く別れろ」 と迫る男。どう考えても言いわけのしようがない。家族すら思いやれない男が、 "与える愛" を説く〈幸福の科学〉の幹部であることがすでに間違っていた。
 
 とくに二番目の娘には思い出が多い。小さい頃から勉強嫌いで、「中学を卒業したらすぐに働くから」 と言い張っていた子である。テストの点数を見て、「これだとビリだな?」と私が尋ねると、「心配ないよ、トト。もう一人ナオミちゃんがいるんだよ」 と無邪気に笑っていた。
 そんな子が今、大学を目指して一生懸命勉強している。私はといえば、その勉強部屋の下で妻と大声でケンカしているのだ。娘よ、何という愚かなトトであったことか。たとえ両親が離婚しようと、子どもには愛され、尊敬されるトトでいたかったと思う。親としてあたりまえのその希望を、私は自らの手で砕いてしまったのである。
 
 こんな家庭の地獄化と時を同じくして、職場でも健康面でも次々と不幸が重なった。新しい年 (八八年) に入った正月八日。ちょっとした不注意で転倒した私は、したたか肩を打ち、鎖骨骨折で二ヵ月間もサポーターを巻いていなければならなくなった。独り暮らしだから、下着の着替えにさえ困った。
 夜はその肩が痛んで眠れない。籍のことは急がされる。妻とは激しいケンカがつづく。娘の受験も心配である。おまけに、仕事には今までのような勢いがなく、創業以来はじめて赤字になりそうな形勢だった。会の仕事に追われていた私と社員のあいだにはミゾが生じ、かつての楽しい職場は見る影もなくなっていた。もう、「泣きっ面に蜂」どころではなかった。
 
 このように私の状態が悪くなっていくのと反比例して、〈幸福の科学〉 の業務は次第に膨らんでいった。私の役目もどんどん増える。それでも会議の前後に大川を送り迎えするのは、相変わらず私の役目だった。私は片手で運転し、大川の乗り降りの際には、使える左手で後部座席のドアを開閉していた。
 
 私の全面的な譲歩によって、ようやく妻との離婚問題が決着した。籍を抜いたことを報告すると大川は非常に喜んでくれた。その慰労もかねてだろうか、大川の婚礼が近づいたある日、二つのカップルが新宿のホテルで食事をともにすることになった。
 主宰夫人となる木村恭子は、当時まだ東京大学の四年生だった。色白で鼻の高い、西洋風の顔だちだった。秋田県の医者のお嬢さんと聞いていたが、物静かで、おとなしそうな女性だった。
 
 とても印象深く覚えているのは、私の心をくすぐった恭子のひと言である。
「釈迦の時代の高弟たちも、みんながみんな家族と円満に別れて出家したのではないと思いますよ。それぞれが、関谷さんのように大問題を解決して自分の道を選び、生涯を懸けたのだと思います」
 Sekiya とネームの入ったボールペンを恭子から贈られた。さすが先生の選んだ人だと妙に感心した。
 
 「関谷さん、中原さんの年を知っていますか」
 大川が突然私に尋ねた。じつはそのときまで、私は彼女の正確な年齢さえ知らなかったのである。そんな二人が間もなく結婚する。思えば不思議なカップルだった。
「二〇代ではなさそうですね」
 と答えたのは、若い恭子の前で中原の年齢を云々したくない気持ちがはたらいたからだ。それを聞いて大川は、私たちがびっくりするほど大笑いした。そして、こんなふうにつづけた。
「三〇代……でもなさそうだしな」
 
 私はハッとした。一瞬の沈黙があった。だが、そんなことを気にする中原ではなかった。再び笑いが起きた。たわいなく笑い合う私たちは、おそらく誰が見ても幸せな二組のカップルだったろう。
 後になって、この場面を思い出すたびに、横転の利かなさを呪ったものである。「そう、四〇代でも五〇代でも、六〇代でもなさそうですね」 と、なぜとっさに出てこなかったのだろう、と。
 
 恭子が口にした釈迦の高弟との比較は、私をいい気持ちにした。正法流布に一生を捧げよう。大川先生を信じきっていこう。あらためてそう決心した。
 この単純さを、読者は笑うだろうか。                                   一挙に押し寄せてきた不幸なできごと。家庭の崩壊、商売の衰退、社員との行き違い、肩の骨折などはすべて、私にこの道を進ませようとする神の導きに違いない……。ここに自分の天命があるのだと、無理にでも納得するほかなかったのである。
 幸福ではなかった。だから、なおさら幸福を科学する必要があった。
 
 
  奇妙な大川主宰との相互仲人
 
 四月十日に、大川隆法と木村恭子の結婚式が杉並会館でおこなわれた。
 その日まで中原幸枝と私は目まぐるしく動きまわった。赤坂プリンスホテルでの結納、式場選び、式の手配から主宰夫婦の新居の整えまで、あらゆる準備が私たちに任されていた。会の仕事もほかの幹部と同じようにこなさなければなかったから、その忙しさは大変なものだった。
 当日は、会場に八〇名ほどが集まっただろうか。新婦の同級生らしい娘さんが四人ほどいた以外は、すべて〈幸福の科学〉の会員だった。
 
 "これは、仏陀の結婚式なのだ"
 誰もがそう思っていた。
 媒酌人として挨拶に立った私の言葉も、そういう全員の思いを代弁していた。
「今、私たちが立ちあっているのは、偉大な魂の再来が挙げる結婚式です。霊性時代のはじまりを告げる式に私たちは臨んでいるのです」 
 そんなことを私は緊張しながらスピーチした。
 
 シンセサイザーやレーザー光線を駆使した "御生誕祭" をご存じの方は、さぞかしハデハデしい演出が施されていただろうと想像するかもしれないが、結婚式としてはむしろ質素で、新しい時代に向かって運動を起こしていこうとする人々の集いに相応しい張り詰めた空気が漂っていた。
 型通りに一通りの式がすむと、三〇分ほど大川の演説があった。物の時代はすでに終わった、これからは心の時代である。そんな話だったように記憶する。
 結婚式の後、恭子はすぐに主宰補佐に任じられた。
 
 中原と私の結婚式のほうは二ヵ月後の六月二十六日に、大川夫妻の媒酌によって、やはり同じ杉並会館でおこなわれた。
 複雑な気持ちで中原と夫婦の誓いをした。ただ一つの救いは、中原の両親がとても喜んでくれたことである。私は前々から彼女の父親と親しく、ゴルフの趣味も一致していたから一緒にフェアウェイをまわり、ゴルフ談義によく花を咲かせたりしていた。ご両親にしてみれば四〇を過ぎて、一生独身かと思っていた娘が、突然結婚するといいだしたのだから、その喜びはひとしおだっただろう。
 
 このお父さんのことでは、大川が一つの予言をしていた。
「中原さんのお父さんの寿命はもうほとんどない。六月いっぱいもてばいいほうだ。生きているうちに、娘の花嫁姿を見せてあげなさい」
 それを聞いていたから、私たちは大いにアセッた。中原の父親は、二〇年前に直腸ガンで死を宣告されたこともある。奇跡的に回復したが、そういう過去が大川の予言に真実味を与えていた。どうにかして六月中に式を挙げなければ、と私たちは思った。中原も最後の親孝行のつもりだったろう。
 
 ところが、この予言は見事に外れた。五年後の今もピンピンしていて、毎年一〇〇日以上もフェアウェイに出る。これは、いったいどうしたことか。しかし会の中では、あのときの予言に触れようとする者は一人もなかった。
 稀に外れた予言なら話題にもなる。しかしことごとく外れては、話のタネにもならないということなのかもしれない。
 ところが困ったことに、大川はことのほか予言が好きだった。何かあると、あいつはどうなる、あれはこんな結果になると口にした。その予言が全滅に近い。よく当たったのは経済的な動向だったが、元商社マンの彼にはお手の物だったろう。
 
 にもかかわらず、大川自身は自分の予言能力を信じきっているフシがあった。
 後に、GLA とのあいだでトラブルが生じたときもそうだった。大川は、GLA を率いる高橋佳子が間もなく死ぬと予言した。ケンカ相手の死を予言する幼稚さは、まあ措くとしょう。それだけなら一種のイヤミと解釈できる。しかし彼は、佳子の死を本気で信じ、密かに心待ちしていた。大川に命じられ、新聞の計報欄に毎日目を通すのが、その頃の私の仕事だったのである。
 
 ところで、中原と私の結婚生活はどのようなものだったろうか。
 それはまことに奇妙な夫婦だった。私たちは、車庫付きの豪勢なメゾネットタイプの新居に入った。大川夫妻の住まいより立派なのが気が引けたぐらいの豪華さだった。断るまでもないと思うが、これは会から提供されたものではもちろんない。
 そのメゾネットの一階と二階に別れて、私たちは生活した。最初に私が予感した通り、セックスのない兄妹のような夫婦生活。一度もベッドを共にすることなく、それに不満も、不自然さも感じなかった。不自然なのは、そういう二人の関係ではなく、無理やりつくられた夫婦という形だった。
 
 ただ一度だけ、これも大川の 「いよいよ関谷さんのところに赤ちゃんが生まれる」 という予言で、子どもを産もうかと中原と相談したことがある。しかしさすがの主宰も、生涯を懸けた中原の生き方までは崩すことができなかった。
 もっとも私たちには、普通の夫婦が持つような家庭的時間は、まったくと言っていいほどなかった。会の仕事に追われ、食事も家でした記憶はあまりない。夜は夜で、会員のレポート採点が待っている。〈幸福の科学 〉 が私たちの生活のすべてだったのである。
 
 
  神託結婚は大川隆法の「霊的現象」?
 
 真実の教えは、「理証」 「文証」 「現証」 の三つの証をそなえていると言われる。
「理証」 とは、シッカリと筋が通り、論理的に人を納得させ得る教えであること。実際に体験してみなければ宗教はわからないという人もいるが、真の教えは決してそういうものではない。
「文証」 とは、その教えが仏典や、先人の言葉に根拠を置くものでなければならない、ということ。独りよがりの教えは、仮にそれがどんなに素晴らしくても、真理ではあり得ない。
 三つ目の「現証」 とは、現実を変える力があること。たとえばキリストは、足萎えを立ち上がらせ、盲人の目を開かせた。通俗的な言い方をしたら、奇跡とか霊的現象ということになるだろう。
 この三つは「三証」といい、真実の教えには必然的にそなわるものである。
 
 大川隆法の〈幸福の科学〉には、この三つがそなわっていただろうか。
 東大卒という経歴を持つ大川の教えには、きっちりとした論理が確かに存在していた。また、本の虫だったという彼の言葉には、仏典や聖書、先人の教えがきら星のごとくちりばめられている。「理証」も「文証」も問題はなさそうだ。私はもちろん多くの会員が、この二つに引かれて、会に入ってくるのである。
 では、三番目の 「現証」 はどうか。
 すでにお話しした通り、大川の予言はことごとく外れている。どうやら、予知・予言に関する 「現証」 はないらしい。では、キリストのように悪霊を払って病気を治したか。その的確なアドバイスで悩める人を救ったか。三年半のあいだ身近に接していた私は、これにも「否」というしかない。
 
 これに関して、大川はいつもこう言っていた。
「いくらでもできるけど、来る人が病人ばかりになったら困るからやらないんですよ」
 そう、〈幸福の科学〉 はご利益信仰の新興宗教とはそもそも違うのだ。神理探究の場であるから、病気治しなど必要ない。
 しかし、もしそれができるなら、なぜ兄の富山誠に憑いた悪霊を追い払わないのだろう。富山に悪霊が憑依していることは、すでに最初の霊言集である 『日蓮聖人の霊言』にも書かれている。その兄が若くして脳溢血で倒れ、今も廃人同様というのに、なぜ放っておくのか。まさか、子ども時代に比較され、惨めな思いをしたという兄に対する恨みがあるわけではないだろう。
 
 病気治しをしてほしいのではない。もし大川に人を救う力があるなら、身近にいる家族に、仲間に、会員に、手を差し延べてほしいと思うのである。
 大川は、一般会員とはほとんど接しなかった。普通の人間でもするような個人的アドバイスさえ聞いたことがない。「自分で解決できないのか」 のひと言で切られてしまう。
 そのことは、『日蓮聖人霊示集』 を読んでみるとよくわかる。大川のもとに寄せられた悩みに答えを与えるという体裁をとりながら、「誰々の寿命はあと何ヵ月」 とか 「こんな恐ろしい未来が待っている」 という、当たらない予言を連発しながら、相談者を脅しにかかっているだけ。救いをもたらすようなアドバイスはどこにも見つからない。
 天上界の構造や先人の教えには通じていたが、大川主宰は人の心、人生の喜びや悲しみを理解しようとはしなかった。私にはそんなふうに思える。
 
 GLA の高橋信次は、初対面の相手でもその経歴をたちどころに当てたという。しかし大川にそんな芸当はできない。ソ連の崩壊や円高は、元商社マンとしての知識で予見できても、人生経験の乏しいこの青年には、ひと目で相手の素性を見抜いたり、的確なアドバイスをする能力は欠けていたのである。
 しかし大川は、自分にはすでに "六大神通力" が与えられていると公言していた。私たち会員もそれを信じきっていた。それも、じつに素直に信じていた。証拠といえば、大川自身の言葉しかなかったにもかかわらず、である。
 
 ずっと後のことだが、幹部の一人と昼食をとりながら、雑談の中で大川に対する批判めいた言葉を交わしたことがあった。その頃になると、古くからの会員は多かれ少なかれ疑念を持ち始めていた。食事を終え、本部へ帰ろうとしたとき、その幹部が心配そうに私を見ながら怯えた声でこう言った。
「今の話はみんな、大川先生にツツ抜けじゃないか。大丈夫かな」
 思わず私の声は高くなった。
「ゼーンゼン。聞こえてなんかいないよ。何もわかりはしないんだから」
 
 大川隆法は、私の知るかぎり奇跡はおろか霊的現象すら一度もあらわさなかった。このことは彼自身が、一番よく知っていたと思う。頭脳明噺な大川のことだから、奇跡を起こせない霊能力者であるという、痛切な自覚があったに違いない。
 そこで彼は、「これほど多くの本を次々と出せるということが奇跡なのだ」 と言っていた。わずか三年ほどのあいだに一〇〇冊以上の本をあらわすのは、それを奇跡と呼ぶべきかどうかは別として、確かに並の人間ワザではない。
 
 本の出版のほかにもう一つ、大川が奇跡、霊的現象と呼んでいたものがあった。それが神託結婚である。
「天上界の指示で会員が思わぬ人と結婚していく。これこそ霊的現象にほかならない」
 その頃は、公の席でもそのような発言をしていた。言い換えれば、霊的現象をあらわせなかった主宰先生は、神託結婿に 「現証」 を求めたのである。
 そうした 「現証」 をいくつか紹介してみよう。
 
・ 飯田隆夫と菅田まゆみの場合
 青年部の講師だった飯田隆夫には一〇年来の恋人がいた。たぶん二人の仲がうまくいっていなかったのだろう。大川に相談すると、同じ青年部の菅田まゆみと結婚せよ、という神託が下った。以前の恋人からのイヤガラセもあり、菅田はかなり悩んだようだが、最終的には結婚に至った。現在は二人とも会を辞めているが、皮肉なことに、私の知るところでは今まで続いている唯一の神託結婚カップルである。
・ 岡本春子の場合
 関西在住の会員・岡本春子に示された神託結婚の相手は大阪支部長だった。彼女が資産家のお嬢さんだったことを考えると、私の場合と同様、そこにも何かの計算があったことを疑いたくなる。まことに悲しい私の性である。彼女は結婚を拒否して脱会した。
・ 河本裕子と石田尚路の場合
 婚約していた河本裕子と石田尚路は、神示によって別れている。河本の霊は、石田の霊より格が高く、格の低い霊との結婚を悲しんでいる、というのがその理由だった。
・ 阿南浩行と佐藤真知子の場合
 佐藤真知子との神託結婚を拒んだ阿南浩行は、大川の信頼を裏切ったとして断罪され、追放同様に退会していった。これは "阿南事件" として会を揺るがす大騒動に発展したが、詳細は後に述べることにしよう。
 
 このような悲喜劇を見ながら、私たちはまだ大川隆法を絶対と信じつづけていた。
 いや、絶対と信じ込もうとしていた。疑いを押し殺し、無理やり信じていた。自分自身の心を正直に見つめる勇気を、私たちは欠いていたのである。
 自分の心をもっとよく見つめるべきであったと思う。本源の神は、教祖に降りるのではなく、私たちの心にこそ宿っている。心の奥にある神に匹敵する人間など、たとえ聖人だろうと霊能力者だろうと、断じていないことを、この際ハッキリさせておこう。
 冷静になって聞けば、"神託結婚"など誰でもおかしいと思うだろう。そのおかしさの結果が、ここに挙げた悲喜劇である。しかし私たちはみんな、自分の自由意志で勝手には動けないと感じていた。
 
「これだけの本が頭で書けると思うか! 私を信じない人がいたら、それは天上界すべてを否定したことになるのだ」
 誰もかれも自分の "浅はかな思い" を否定し、大川の方針に従って進んだ。自分の心を見ないで、大川の言う天上界を見ていたのである。真理は、我々の心の中にこそあるというのに。
 疑いに苦しんだ者は、さらに忠実な信者となって励んだ。雨降って地固まるように、会は急速に発展していった。
 
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宗教団体「幸福の科学」に約二十年間在籍していた元信者です。幸福の科学が信者に見ないように指導している内部告発、退会者からの情報や意見を、現信者である親友Kさんのための参考資料としてまとめていこうと思っています。

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