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<幸福の科学根本教義批判>

第三章「反省の原理」批判

ユング心理学から見た幸福の科学的「反省」に関する考察

 ユング心理学の立場から見ると、幸福の科学的(というかGLA的)な「反省」のスタイルそのものが異常性を産み出す原因になっている、という指摘を某掲示板で見たので、引用して紹介する。

 「悪を捨てて善を選び聖人になれる」という考えは間違っている。「煩悩を断ち聖人になれる」というのも間違っている。抑圧した煩悩は無意識にとどまっており、抑圧すればするほど自己の意識に流人しようとする。これを幸福の科学の法では「悪霊」と呼んでいる。抑圧した煩悩が人格化して表われたものである。
 抑圧した煩悩が意識の中に流人する嵐に巻き込まれないようにするには、自己を聖人であるとごまかさないで、悪の部分が自分の一部であることを受け入れることだ。煩悩は自我の一部として組み込まれることによって制御可能となる。
 煩悩を切り捨てて、気持ちよく思っているときに、煩悩を持っている他人に会うと抑圧した煩悩が刺激され、自分の意識に流人しようとする。すると、煩悩を刺激した相手を嫌い、自分が悪いのではなく相手が悪霊に憑依されているから悪いということになる。
 こういう人たちから見ると、自己の抑圧した煩悩を社会に投影するので、世俗は悪にまみれているという社会観を持つようになる。この抑圧した悪の投影は相手側をサタンの側と決めつける宗教戦争の原因でもある。
 煩悩を抑圧し続けるとどういうことになるかというと、煩悩を刺激する観念も抑圧し、その観念を連想させる観念も抑圧するというように抑圧する観念が次々と増えていって、自我の自由が狭まっていく。精神が硬直した状態になる。極めて不寛容な人間になる。幸福の科学ではこれを「神の方向に心の針を向ける」という。
 抑圧した煩悩が人格化して「悪霊」として現れるのが統失(統合失調症)である。反省しすぎると統失になるのはGLAのときから知られている。聞きたくもないときに心の内から声が聞こえるようになるとかなり危険である。精神科に行った方が良いだろう。
 参考にしたのはユング心理学の「影」の理論です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1087/1294757624/401より、一部整形の上引用)
 
 他人が悪く見えるのは、自分の中の抑圧された「影」である悪を相手に投影しているからに過ぎない、ということ。教祖に最もその傾向が現れている。追い出した妻を批判した時もそうだし、先の元幹部・種村氏に対する批判もそうである。

 とても鋭い考察だと思う。何故「寛容さ」などの美徳も説いていながら、熱心な信者ほど不寛容になるのかがよく分かる説明である。 私は、元々の仏教からおかしいのではないかと思っている。仏教から 「煩悩の抑圧」はあって、様々な歪みを生み出してきた。女色が禁じられているからと言って「衆道」などというおぞましい同性愛肯定文化を築いたのも仏教僧である。

 自らを「愚禿」とか「極重悪人」とか呼んだ親鸞に至って、仏教は初めて自己の煩悩をあるがままに認め、自己の悪を許し、他者の悪をも許す、真っ当な教えとなったと言えるだろう。

 幸福の科学式の「悪を去り善を取れ」というだけの「反省」では、人は一時的に気持ちよくなっても、また元に戻ってしまい、救われることはない。では、どうすれば救われるかと言えば、親鸞式(またはユング式)で行くしかないと思う。自らの内なる悪を認め、抑圧されたものを見つめて、それも自分自身であると認め、そのままでも生かされ・存在を許されているということを認識するしかない。
 
 こういった思想表現は、『ペルソナ4』というアニメ(原作は人気ゲーム)のシナリオがよく出来ていた。自分自身から生まれた邪悪なフソヤドウ」があり、それを否定している内は暴れ続けて自分を害する存在であるのだが、それも自分自身だと認めてやることで、その乱暴な「影」が、自分の強力な味方となって働いてくれるようになる、という設定であった。

 ついでに言うと、幸福の科学は生長の家の影響も受けているとされている。幸福の科学では「光明思想は反省がない」と言って批判していたが、こうして見ると、幸福の科学の「反省」も、「光明思想」と同じ穴の猪であることが分かる。どちらも自分自身をありのままに見つめることがない。(「光明思想」について詳しく学んだわけではないので、この点、私の方に誤解があるかも知れないことを付記しておく。)

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【転載元】幸福の観測所 http://antikkuma.hatenablog.com/
【著作者】TSI研究会(UMA) にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学 批判・告発へ
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